児童専門外来をやっていたとき、まず驚いたのは、診断書があれば学校に行かない不登校の子でも中学までは卒業できるという事実であった。
「なんだ。学校に行かなくても中学までは卒業できるのか。」
あんなに頑張って学校に行っていたのが馬鹿らしくなった。

そして、高校に行かない、あるいは、中退した子たちの勉強に付き合っているうちに、半年くらいフツーに勉強すれば、高卒認定試験に受かることに気がついた。
「なんだ。学校に行かなくても高校卒業資格がそんなんで取れるのか。」
またもや、あんなに頑張って高校に行っていたのが馬鹿らしくなった。

いわゆる教科書の内容自体は、非常によくできているものが多いので、それは学んでおいた方が良いと思うが、どこで、誰から、誰と学ぶかについては、もっと自由で良かったのか、と今になって思う。

もしあの頃、自分に生きる軸があれば、学校に行かず(もちろん行きたい学校であれば行くが)、経済的に可能な範囲で、塾や予備校に行きながら勉強し、スポーツや英会話などのやりたいことも学べるところに行って学び、進路を見定めて大学受験をしただろうと思う。
実際、医学部の学生の中には各学年に一人くらい、高校に行っていないヤツがいた(今もいるんじゃないかな)。

よく「“通常の”集団生活を経験しないと“変な”大人になる」式の話を聞くが、私の経験から言うと、“通常の”集団生活を経験して来た大人たちの中に(特に過剰適応して来た大人たちの中に)十分に“変な”大人たちがいるというのは、どういうことであろうか。

今になってそう思うが、子どもの頃は、哀しいかな、自分の軸がなかった。
多数派と違う道を選ぶのは恐かった。
だから、そこは“軸のある”大人たちから応援してもらいたいと思う。

「どんな道を進んでも大丈夫だよ。」
「君は君を生きるために生れて来たんだから。」
「本当の自分を生きることを目指せば、登り道はいくらでもある。」

 

親の応援については明日述べる。

 

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