あるお母さんが息子が医学部に合格したのを喜んでいた。
進みたかった道に進めた息子の喜びを我がことのように喜べる心情というのであれば、それは健全である。
しかしそれが、私の息子が医学部に通ったのよ、という自慢になってくると気持ち悪くなってくる。
あの〜、勉強したのは、あなたではなく、息子さんなんですけど。
中には、私が勉強させて合格させたんです、と居直る人もいるが、それでも勉強したのは息子さんである。
こういう人に、で、あなたの学歴は?と訊くと大抵、不機嫌になる。
たまに高学歴の親もいるが、そもそも学歴=自己の存在価値という発想自体が、十分に神経症的であり、通俗的であることに気づいて、情けなくなるようでなければ、お話にならない。
こういうふうに自分以外の誰かにかこつけて、自分が偉くなったように思い込むことを「同一視」という。
皆さんのまわりにもいませんか?
有名人と撮った写真を飾っているような人。
トランプさんでも、高市さんでも、有名タレントでも、金メダリストでも、ノーベリストでも同じこと。
あなたの手柄は何もないんですけど、写真を撮った以外に…。
中には、大谷翔平の奥さんのお父さんを知っている、と自慢する人がいた。
そりゃあ、随分、遠い同一視だなぁ。
あのね、虎の威を借る狐ではなく、そろそろ自分自身で勝負しましょうね。
それも、通俗的虚栄心ではなく、まぎれもなく自分に生れて来た意味と役割を果たすことで。