「いまの社会では大人も子どもも、特に子どもたちが非常に衝動的になっている傾向です。これは社会が自由という言葉で衝動的な行為を認めて、甘やかしているところにも原因があると思います。衝動的というのは何事でも、その時の自分の気分だけで実行してしまう。心の動きを制しきれず、感情だけですぐ短絡的に行為をしてしまうことを言います。…
その時の気分だけに従うのではなく、我慢すべきところは我慢して、衝動というものに短絡的に反応しないで耐える力を養うことを考えなくてはいけません。…
子どもは衝動的になりやすいのです。大人とちがって何も先を考えないからできるのです。むしろ理由らしい理由がないのにやるのです。…
衝動的になるということと、直接的な感覚とはどう違うかというと、衝動も直接的感覚には違いないのですが、そこに知恵が働いていないのです。子どもの場合にはいわゆる生の、原始的な生の衝動というか、生命力というか、生命的なエネルギーがあるのです。けれどいかんせん頭の方が未発達で、生命を健康に育てていく大脳の働きがまだ充分に育っていないのです。知恵がないわけです。…
自分を生かしていく、生命力を感じる知恵ができることをほんとうの成熟といいますが、子どもの場合はその点で未成熟なのです。また、子どもの時の特徴として、『自分の要求を、今すぐ、ここで、全部、容れられなければいやだ!』という気持ちがあります。これを小児的傾向といいますが、自分の欲求を先へのばして待つということがなかなかできないのです。…
問題は…親が子どもの生命力を生かす知恵を育てたかどうかということなのです。…
いまの子どもたちは困難と戦ったり、忍耐するということを世間からも親からも教わっていないようです。耐え忍ぶ力をつけること、現在の欲求満足を一時耐えて、不満の充足を将来に伸ばし得る能力を養っていくことが現実を生きる上で必要なことなのですが、それが少しも訓練されていません。大人は子どもに対して、拒絶する場合は静かに明るく、キッパリと拒絶するという、はっきりした姿勢とか態度が必要です。ところが親の方が腹が決まっていないのです。腹が決まっていないから結局、その時いちばん楽な方法 ー つまり子どもの言うなりにするという態度をとるわけです。そしてそれが愛情のあるやり方だと自分で信じこんでいることが多いのです。
私のいう愛情というのは、ある厳しさが含まれます。愛は…ただ甘いだけでなく、きびしさと忍耐を必要とします。つまりほんとうの愛は知恵を伴わなくてはなりません。したがってある厳しさが含まれているものです。
この点に関連して、子どもはうまく表現することはできなくとも、親の気持を敏感に感じ取り、見抜く力を備えていることを知っておいて下さい。親が無定見でただ甘えさせているのか、しっかりした考えをもって落ち着いた愛情で導いてくれるのかに対して、それぞれ正直に反応するものなのです。そしてそれが子どもの生きる態度を決定するのです。」(近藤章久『感じる力を育てる』柏樹社より)

 

「自分の要求を、今すぐ、ここで、全部、容れられなければいやだ!」という“小児的傾向”。
これを持っている大人も多いですね。
子どもだけでなく、大人ももう一度鍛え直す必要があるかもしれません。
私が言う、逆風の中でこそ自分が自分である幹が太くなっていく、というのはそういうことなのです。
細い幹では、ちょっとした逆風でポキッポキッと簡単に折れてしまいます。
いや、その前に逃げ出してばかりになるかもしれません。
思い通りにならないことを抱えられる力。
逆風の中でも、何人もの相手選手に組み付かれながらも一歩でも半歩でも前へ進んで行こうとするラグビー選手のような“勁さ”を養うことが、大人の階段を昇るということなのです。
そしてその大切さをちゃんとわきまえておくのが“知恵”。
やはり子どもを育てるというのは、自分を育てるということ。
まず親から、大人から、自分から
始めましょう。

 

 

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