長年、子どもたちの問題に関わっていると、問題は子どもだけではない、背景にお母さんたちの問題が見えて来るときがある(あくまで「ときがある」である)。
しかし、お母さんたちを見ていると、それぞれに問題があるかもしれないが、それでもいっぱいいっぱいで一所懸命に生きている姿が見えて来るときがある(これもあくまで「ときがある」である)。
そしてさらに見て行くと、問題はお母さんだけではない、その背景に夫=お父さんの問題が見えて来るときがある(しつこいがこれもあくまで「ときがある」である)。
ラスボスは後から出て来るときがある(以下省略)。
では、解決法は如何。
なんのことはない。
お父さんが妻=お母さんを愛するだけで、お母さんの問題も、子どもの問題も解決してしまうときがある(以下省略)。
人間の生育史上の問題は、結局のところ、その人が愛されなかったことによって生じるのである。
よって、そのままを愛されれば、自分が自分であることを愛されれば、その人の生育史上の問題は薄まって行く。
そこが肝心。
まず、いろんな負担が集中しやすいお母さんが愛されないとね。
世のお父さん方よ、どうかあなたの妻を愛して下さい。
で、ここまで言うと、お父さん方から非難が飛んでくるかもしれない。
「じゃあ、オレは誰から愛されるのか。」
これが昭和であれば、
大の男が泣きごと、言うな。
女ひとり愛せないなら、結婚なんかするな。
それぐらいの度量は自分でつけろ。
と言うところであるが、
令和だとそうはいかない。
お父さんがお父さんであることを愛してくれる、先輩、上司、セラピスト、アニキ、オヤジなどが必要となってくるのである。
…しかし、そう思うと、実は昭和でもそうではなかったか。
今から思えば、近藤先生も(私を含めて)むくつけき男どもを愛して下さっていたのである。
◆追伸◆
本当は、夫婦で互いに愛し合えたら一番良いんだけどね。
第三者からの愛は、夫婦が成長するまでの“つなぎ”と思っておくのが良いのかもしれない。