出かける。
天気が変わり、雨が降り始めた。
そう言えば、天気予報で午後から雨になると言ってたな。
出かける前までは、傘を持って出るつもりだったが、忘れてしまった。
近くのコンビニで傘を買う。
そして傘をさして所用を済ませて帰る。
それだけのこと。 

これが神経症的な人だと、そうはいかない。
心の中の“見張り番”に責め苛まれる。
「何、やってんだ!」
「ちゃんと傘、持ってけよ。」
「気をつけてないから、そういうことになるんだ。」
「傘代が無駄な出費なんだよ。」
「家に余分な傘を置いておくスペースはないぞ。」
etc. etc.

何が一番まずいかというと、とにかく気分が悪くなること。
親に怒られた子ども、先生に叱られた生徒のような気分になる。 
よく考えてみれば、起きたことは、だからどうだってんだ!レベルに過ぎない。
傘一本の出費、傘一本のスペースで、地球最後の日は来ないし、市中引き回しの上、磔獄門にもならない。
(万が一傘が20本以上たまってしまった場合にはご相談下さい)
そんなことで大事(おおごと)をやらかしたような気分になる。

それが、あのとき、まだ小さくて弱かったあなたが、大人の親や先生から締め上げられたときに感じた失意と無価値感の気分なのだ。
その責め手が、今や良い年になったあなたの中に、まだ“見張り番”として残っていて、あなたを締め上げる。
そしてその“見張り番”のことを、もし親や先生が既に故人であれば“背後霊”と呼び、もしまだ存命中であれば“生霊(いきりょう)”と呼んでもいいかもしれない。
いずれにしても、そんなものは“お祓い”するに限る。
いらない、いらない。

いつまでも取り憑かせておくと、被害はあなただけに留まらず、あなたの子どもや部下・後輩たち(弱い立場にいる人)を締め上げて行く。
(上に挙げたようなセリフを子どもや部下・後輩たちに言うようになる)

“見張り番”の世代間連鎖、そりゃあ、大迷惑だわ。
それこそ“祟り”とか“呪い”と言える。

これは若い人だけでなく、年配の方々にも大いに当てはまる。
何故なら、年を重ねるほど物忘れなど、いろいろやらかしやすくなるからである。
そんなときにもし“見張り番”が残っていたら、やらかす度に無価値観と自責の念でうつっぽくなってくる。
特に若い頃からきっちりやってきた=“見張り番”に支配されてきた人ほど危ない。
だから、皆さん、今のうちに“お祓い”しておきましょうね。

そして次回、あなたが何かをやらかしたときが、絶好のワークのチャンスになるでしょう。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。