ある報道から
沖縄の海で夫婦でシュノーケリング中、妻が沖に流されたため、夫は救助に向かい、抱きかかえて海岸のリーフエッジに到着し、妻は助かった。
しかし夫は、リーフに座った直後、仰向けに寝そべったまま意識を失い、すぐに病院に運ばれたが、死亡が確認された。
夫はライフジャケットを着用せず、顔全体を覆うタイプのシュノーケルマスクの中には海水が溜まっていたという。
あなたは愛する人のために死ねますか?
答えは即答で決まる。
今、「死ねる」と(一瞬の躊躇もなく)即答できた人以外は死ねないのだ。
別に、死ぬ方が良いとも言っていないし、死ぬべきだとも思っていない。
ただ普段から、この人がいない世界に生きていてもしょうがない、と思っている人は死ねるだろう。
もう一度訊く。
今、あなたの自宅が火事で燃えているとする。
あなたは自宅前に逃れたが、あなたの愛する人はまだその燃え上がる大火の中に取り残されている。
あなたはどうしますか?
これは「情愛」の話。
そして、見ず知らずの人のために死ねるか、という話になれば、それは人間の「情愛」では無理である。
人間を通して働く「愛」でないとね。
それについては既に述べた。