精神科の外来に若い綺麗な女性たちがやってくる。
話を聴くうちに、その方々の一部に苛酷な生い立ちが観えて来る場合がある。
そしてまたその方々の一部は、性風俗で働いていることを話し始める。
「一部」と言いながら、その数が意外と少なくないのだ。
最初のうちは、
「なんでこんな綺麗な娘が?」
と思っていたが、虐待的生育史の影響で自己評価が極端に低い彼女たちは、それを証明するかのように、わざわざ自分の女性性を安売りする=自己破壊行動としての自己虐待が始まるのである。
自己評価の低い綺麗な女の子たちは、悪い男たちにとっては絶好の搾取対象であり、
彼女たちも、食べていくだけなら他の仕事で十分なのに、わざわざ体を売るような仕事を選ぶ。
そして、男の性欲処理のために物扱いされることで、彼女たちの自己評価はさらに落ちていく。
性風俗で働く。
体中のピアスの数が増える。
タトゥーが入り始める。
さらに重くなると、ドラッグに手を出す。
綺麗になるためと言いながら、実は自己破壊のための美容整形手術を繰り返す子もいる。
タトゥーも美容整形もドラッグも、今だけでなく未来に向けて、取り返しのつかない痕を残すことに、より重い自己破壊としての意味がある(覚醒剤では使用をやめた後もフラッシュバッグが起こるようになる場合がある)。
それでもまだ、精神科の外来に来てくれているうちは、彼女たちの心の底に現状を脱したいという気持ちが働いている。
しかしそこにも自己破壊的な衝動が侵入すると、通院は不規則となり、中断や転院を繰り返す。そして通院をやめてしまう場合もあり、事はそんなに簡単ではない。
私の治療経験でも、通い続けてくれさえすれば(年単位はゆうにかかるが)なんとかなることが多い。
タトゥーも止まり、美容整形も止まり、ドラッグも止まり、性風俗で働くことも止まっていく場合がある。
そしてそれは、実はサイコセラピストの腕ではなく、彼女の中に働く、本来の自分を取り戻したい、本当の自分を生きて行きたいという力が、彼女たちを外来に通わせ、彼女を彼女をさせていくのである。
そのために、操作的な方法を使って、うまいこと言い、彼女を変えようとする治療は大抵、失敗する。
それこそ近藤先生がおっしゃっていた通り、彼女に逢う度に、彼女の生命(いのち)に対して手を合わせて頭を下げる=合掌礼拝(らいはい)しながら、他者礼拝しながら接するということに尽きる。
それを繰り返しているうちに、少しずつ少しずつではあるけれど、こちらの言動の端々から、存在そのものから、彼女に伝わっていくものが変わってくる。
そしてどこかで彼女もそれをキャッチしている。
その積み重ねが、彼女の中に働く、本来の自分を取り戻したい、本当の自分を生きて行きたいという力を強めていく。
これもまた簡単じゃないけどね。
それでも、彼女がこの世に生まれて来た尊厳に対する畏敬の念だけは失ってはいけないと思う。
表面の闇がどんなにやらかしても。
我々だけは、人のこころの(表面の闇ではなく)奥底の光を信じて生きていかなければならない。