研修医1年目。
右も左もわからず、何でもかんでも先輩医師たちに訊きまくっていた。
知らなくて当たり前を盾に躊躇することなく訊けた。
しかし2年目になると、後輩が入って来た。
え、もう先輩ですか?
早くも後輩に教える側になった。
でもまだ研修医。
遠慮することなく先輩医師に訊きまくっていた。
それが3年目になり、5年目になり、10年目になるとどうだろう。
また、助教になり、医長になり、専門医になるとどうだろうか。
キャリアが長くなり、職位も上がって来るにつれ、なかなかあからさまには訊きにくくなって来る。
妙なメンツが邪魔をする。
何十年やっても、院長・教授になっても、本当は知らないことは山ほどあるのにね。
単なる知識面のことでもそうなのだから、これが人間的側面のことになると、さらに訊きにくくなる。
即ち、自分の内面を見つめ、プライベートな自分の未解決の問題を吐露し、それを相談しようとすることは、相当にハードルが高い。
だけれど、それをやってかないことには、人間として、本当の意味での成長がないのである。
キャリアと職位だけで人間性は成長しない。
今になって気がつくのだが、そんなとき、いつの間にか、私自身が年を取っていたことが役に立つことがある。
年上の人、特に相手が高齢者だと、どんなに世俗的にバリバリやっている人でも、なんだか不要なガードが下がって、弱みを話しやすくなるようだ。
近藤先生が「私がおじいさんだと思うと話しやすいんだろうね。」と言われていたのを思い出す。
でも本当は「おじいさんだから」ではなく「近藤先生だから」であることを私は知っている。
自分の成長を心から願ってくれている人に対してなら、人は何でも話せるのである。
だから、どんなにキャリアの長い人も、どんなに職位の高い人も、いつからでも遅くない、ひとりの素の人間、そしてひとりの凡夫として、「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持てたら、どうぞ話しにいらっしゃい。