「私にとって煩悩という言葉は、少年期にはそんなになじみのある言葉ではありませんでしたが、私の祖父母は私に人間とは煩悩そのものなんだよと、よく話してくれました。しかし子どもには煩悩というのは、何のことかわかりません。わかりませんが、とにかく、そういうことをいってくれた祖父や祖母がいたわけです。…
いまごろの方々に煩悩といってもですね、ちょっとピンとこないところがあるのではないかと思いますので、私流に解釈させていただいて、できるだけわかるようにしたいと思います。
わかりやすくいいますと、私は煩悩というものは、人間のいろいろな欲望から出てくるのではないかと思います。欲望の結果が、いわゆるわずらいであり、悩みであり。それによって苦しみ、悩む。その苦しみ、悩む状態を煩悩と称するのではないかと思います。
一口に欲望といいましても、私たちは、つねにいろいろなことを考えます。たとえば、食欲、性欲、睡眠欲、それからはじまりまして、権力欲、獲得欲、所有欲、あるいは金銭欲、その他、いろいろな愛欲といったものが私たちの心のなかにあると思います。…
こういうようなことから考えますと欲望というのは、いろいろな種類があって、それが達せられないとき、それが得られないときに苦しみ、悩むのです。西洋の心理学は単純に、それをフラストレーションという言葉で片づけているわけです。欲求挫折ともいいますし、欲求不満ともいいます。…
日本は戦後何をやったかというと、とにかく生産を高めてその結果高度成長を成し遂げました。…いろんな欲望をどんどん加速度的に高めることによって、高度の成長を遂げたということになるわけですね。そこに流れているものは、欲望の肯定ということです。欲望というのは無限に大きくてよろしい。それに対して、その欲求を満足することこそ人間の幸福だというようなことが、おおっぴらにはいいませんが、少なくとも自然に私たちの気持ちとしてあるんですね。つまり、欲望の充足こそ最大の価値である、こういう考え方があると思うのです。
このように戦後の日本の社会は、欲望をあまりにも肯定して、少し以前の日本人はエコノミック・アニマルといわれたのに、最近はセクシャル・アニマルといわれています。そういう意味で、性的開放ということは、我々が現に直面している問題です。…
現代においては、むしろ性を謳歌し、肯定し、解放しているところがあります。はなはだ、どぎついようですが、私は性の事実は事実として正直にまっすぐに見たいのです。仏教でいう八正道(はっしょうどう)のなかの正見(しょうけん)ということは、とても大事なことですね。あるものをあるものとして見る、正しく見せる、その意味をはっきりさせる。やはり、これが出発点だと思うのです。その正見が、さらに発展して正思(しょうし)ということにいったとき、キリスト教徒にとっては、

 われキリストとともに十字架につけられたり
 もはやわれ生けるにあらず
 キリストわれに在りて生けるなり
 今われ肉体にありて生けるは
 われを愛してわがために己を捨てたまいし者すなわち神の子を信ずるによりて生けるなり
                                                                                                                   (ガラテヤ書 2・20)
の自覚になります。
いずれにしても人間の本質といいますか、本来の人間らしい人間、その上に人間関係を見るということを考えてみて、ほんとうの自分というものを考えることができます。
」(近藤章久『迷いのち晴れ』(春秋社)より)

 

我々の中にある欲望 ー それは我の思い通りにしたいということ。
よって、その欲望が文明を発展させて来たところもあるわけです。
しかし残念ながら、我々の欲望は無限ですので、常に思い通りにならないこともあることになります。
よって、苦しみ、悩む煩悩も尽きることがありません。
まずは自分に欲望があるという事実を正しく見ること(=正見)。
それがないことには始まりません。
そしてそれを正しく見た上で、正しく考えて行く(=正思)とき、その苦しみ、悩む煩悩を超えて行く道も示されて行くことになります。
われキリストとともに十字架につけられる、とは、仏教的に言うと、キリストの愛の贖罪によって、自分の我が死ぬこと。欲望、我欲の大元の我がなくなるということを意味しており、
そして我がなくなったときに現れるものがキリスト=神の子の働きということになります。
眼を逸らさず正面から見つめる=正見から始まり、正思へと展開して行く真実の世界がある、ということを改めて確認しておきたいと思います。

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。