約三年の月日をかけて『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を読了した。
言わずと知れた道元の主著である。
しかし、これほど読者に“体験”を要求して来る著作も少ない。
いわゆる“体験”がないと何が書いてあるのかさっぱりわからないようにできているからである。

「あなたは『正法眼蔵』を読みましたか?」
と訊かれてなんと答えるか。
先ほど、「読了した」と書いたが、正確に言えば、
「字面(じづら)だけは。」
と付け加えざるを得ない。
何故ならば、道元と同等の“体験”がないと、本当の意味で「『正法眼蔵』を読んだ。」とは言えないからである。

いわゆる知識人たちによる『正法眼蔵』の現代語訳や解説、関連書籍などは無数に上梓されているが、「よく書けるな。」と思うことがほとんどである。
いや、むしろ自分がわかっていないことがわかっていないから書けるのであろう。
失礼を承知で申し上げれば、いわゆる知識人の方たちほど「霊的感性」の鈍い方が多い。
『正法眼蔵』は、理性や知性では読めないのである。
“体験”に基づいた「霊的感性」がないと読めないのが『正法眼蔵』である。

最近の方で、学者でありながら少しでも“体験”のある、珍しい方として、井筒俊彦氏と玉城康四郎氏が挙げられるが(残念ながら両氏とも他界された)、私は玉城氏の『正法眼蔵』全六巻(大蔵出版)を選んだ。

近藤先生は、戦後の書籍がない頃、『正法眼蔵』をむさぼるように読まれたという。
私なりに『正法眼蔵』の位置付けが感じられるようになって来た今、『正法眼蔵』についていろいろ伺いたかったなぁ、と思う。

師亡き今、それでも
「徧界(へんかい)、曾(かつ)て隠さず」
(この全宇宙には何物をも包みかくすことはない。真実はいたるところにありのままの姿を顕現している)
真実を感得できるか否かは、こちらにかかっているのである。

 

 

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