面談をしていて、今が“勝負どき”の人が常に何人かおられる。
ある意味、今が“勝負どき”でない人は当研究所にひとりも来ておられないのだが、その中でも特に自分の中心的問題と真っ正面から勝負しなければいけないときがある。
私自身、何度も経験があるが、こればかりはどんなにしんどくても、勝負するより他、選択肢はない。
「選択肢はない」と申し上げたが、全員が全員、勝負するわけではなくて、中には、ちょろまかす人、逃げ出す人もいる。
いや、世の中にはそういう人たちの方が圧倒的に多いのだ。
そしてニセモノの自分を生きて行くことになるが、本人がそれを選ぶ以上、なんともしようがない。
当研究所とは縁がないか、もし来ておられれば脱落していくことになる。
そしてその勝負の持続期間についても、当面の問題を解決するのに、数回の面談で済む場合もあるが、1年~年単位かかることもフツーにある。
例えば、二十歳のときに面談に来られたとすれば、最大十七年間(三歳以降、ニセモノの自分を生きて来たと計算して)余計な塵埃や泥をかぶって生きて来たわけであるから。それを除去するのに十七年かかっても不思議はないわけである(実際にはそんなにかからないが)。
ここらも詰めが甘い人は、ちょっと楽になるとすぐに切迫さを失い、元の木阿弥と化することを繰り返す。
そういう人は、私の方からもう大丈夫でしょう、と言う前に自分の方から面談頻度を下げたりするのが特徴的である。
やはり問題は、情けなさの自覚の不足にあるのだ。
しかしね、本当の自分を生きるために生命(いのち)を授かったのに、ニセモノの自分を生きる人生があるはずはないのだ。
しんどくなったら、原点に戻って、根源的な問いを繰り返そう。
今回の人生、本当の自分を生きるの? それとも、ニセモノの自分を生きるの?
もし前者であれば、しんどいけれど一定期間の「辛抱」が必要である。
そしてその間、その人の問題に迫り続けるこちらにも「辛抱」が要る。
その人に向かって語り続けながら、その人の生命(いのち)に向かって祈り続ける、突破の門が開くまで。
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