ある東京ディズニーリゾート・ファンの人が
「ここにいるときだけ、イヤな現実を忘れられるんです。」
と言った。
それに対し、ある別のファンは
「東京ディズニーリゾートは逃げ場じゃないんです。」
と言った。
「私は東京ディズニーリゾートのお蔭で明日からの現実でも頑張れる。」
とも。

楽しみ方はそれぞれの自由だが、私は後者の発想は、東京ディズニーリゾートをそこだけのものにせず、日常に連れ帰っているようで、面白いと思った。

そしてそのとき私の頭の中には、神社の鳥居が浮かんだ。

一般に神社の鳥居は、神域と俗世を区切る結界としての意味を持っていると言われる。
従って、鳥居をくぐって神社に入るときは、神域に入るために一礼をする。
そこに異論はない。
しかし、反対に鳥居をくぐって神域から出るときのことは触れられていない。
俗世に向かって出るんだから、どうでもいい、というわけだろうか。

鳥居をくぐって神域に入り、拝殿で参拝して、また鳥居をくぐって俗世に帰る。
その間だけ清浄(しょうじょう)な心持ちになる=鳥居を出れば元の木阿弥であれば、それは先の東京ディズニーリゾートの前者の意見と同じである。
それではもったいなかろう。
そもそも参拝によって何を感じるのか。
折角、参拝によって「御霊(みたま)」の働き=あなたをあなたさせる大元の働きを感じたのであれば、その体験を鳥居の外へ、即ち、俗世へ、日常に持ち帰らなければもったいないではないか。
これは先の東京ディズニーリゾートの後者の意見をさらに徹底させたものとなる。
(空間的に)どこまでその体験を持ち帰れるか。
(時間的に)いつまでその体験を維持できるか。
つまり、本当のことを言えば、神社の帰りには鳥居がなくなる=俗世の全部が神域になっていくことが究極の目標である、と私は思っている。

もし次の機会がありましたら、そんなことを思いながら、神社に参拝したり(お寺や教会でも同じ)、東京ディズニーリゾートに行ってみることをお勧めしたいと思います。

 

 

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