「調子に乗る」という。
どうも「調子に乗る」というと、一般にネガティヴなイメージがあるようだが、私はそう思っていない。
内発的な発露のままに生きるということは、自然であり、美しいことですらあると思っている。
むしろ「調子に乗って」生きなくて何の人生か!と思っている。
それを「調子に乗らず」「抑制が効いた方が」あるいは「理性的にコントロールされた方が」、「上等」「上品」と勘違いしている方が実に多いのだ。
それは多くの場合、イソップ寓話の「すっぱい葡萄」のように、自分を抑圧されて生きて来た人間が=自分を自由に出せない人間が、その方が「上等」「上品」と負け惜しみを言っているに過ぎない。
幼児たちを観よ。
彼ら彼女らの「調子の乗り方」は、実に「天真爛漫」である。
「天真」=天の真実に沿うことがおかしいはずがない。
確かに、「調子に乗る」と似て非なるものとして「悪乗り」がある。
これは注意を要する。
「悪乗り」はむしろ抑圧の反動として起こることが多く、「調子に乗る」に比べて、過剰な「垂れ流し」の臭みがあり、不自然感を否めない。
この「不自然」というところが「天真」と決定的に異なるのである。
改めて問う。
「調子に乗る」とは、何の調子に乗るのか。
天の促しに乗り、生命(いのち)の促しに乗るのである。
そうこなくっちゃあ、あなたはあなたを生きていることになりませんよ、と申し上げたい。