後輩精神科医のところに不安障害の患者さんが受診されたという。
不安で不安でしょうがない、と言われるので、後輩は、まずお薬を使って気持ちに余裕を作り、それからゆっくりお話しませんか、と提案した。
薬物療法で余裕を作り、精神療法で問題の本丸に迫る、というのは、治療のスタンダードである。
(もちろん薬を使わなくても内省できる余裕があれば薬は使わないし、ただ薬を使うだけで精神療法を行わなければ問題の根本解決にはならない)
しかし、その患者さんが、メンタルの薬を飲むのは恐いから飲みたくない、と言われたという。
まだ若い後輩は、えっ、そんな人がいるのか、と驚いたそうだが、精神科外来ではままある話である。
じゃあ、お薬なしで我慢するしからありませんね、と言うと、患者さんは不満げで、薬なしですぐに楽にしてほしいという。
ここまでだけでも、いろんなことがわかる。
この患者さんが持つ、他者に対する(この世界に対する)基本的不信感(だから薬なんて恐ろしくて飲めない)、望んだことがすぐに全部思い通りにならなければイヤだ、という自己中心性。
これだけでも相当なテーマになる。
まずは、世の中は全てが思い通りにならず、思い通りにならないことを抱えて生きて行けるようになることが、治療の第一歩である。
そして、他者への(この世界)への信頼を取り戻すのが第二歩。
そうでない限り、この人の不安は続くだろう。
「それ以前にまず、自分にそういった解決すべき問題があると認められるかどうか。そして認めた上でその問題と向き合い、解決して行く気があるかどうかですね。」
後輩くんの言う通りである。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」というのは、「成長」においてだけでなく、「治療」においても大原則なのであった。