「私は海が好きです。そこで、ちょっと疲れたとき、車を運転して海岸のほうをドライブするのです。そうしてずっと海のそばへ行ってね、じーっと海を見つめる。夜ですけれど、波の音を聴いているのですね。静かに聴いていると、生きている海のいのちの音が聴こえてくる。海のいのちの響きを聴く。それに応えるように、自分のいのちが共鳴するのです。
また、私は山へ行くのも好きなんですね。山でひとりで、それこそ松籟(しょうらい)の音といいますか、森にいますと松をサーッと風が吹き渡る。これが松の息、風の声、生きている響き、いのちの響きがサーッと自分のほうに伝わって心を動かす。自分のいのちがそれに共鳴していくのです。…
みなさんにすすめたいのは、なかなか自分の心の響きが聴こえなかったら、できるだけそうした自然のなかに自分をもっていってみる。そこには何の脅威もない。そこには何の嘘もない。欲も、得もない。。金欲の世界も、名誉の世界も、嫉妬の世界も何もない。そこでは、すばらしい自然が、すばらしい交響楽のように大きい響きを伝えてくる。その響きに自分の体をさらし、それに共鳴する自分のいのちの響きを聴いてみる。ことに若いときからこれをやっていると、一生そのよろこびを持てるような生活に入れると思うのです。
しかし、若い人ばかりじゃあない。あなた方ご自身、こうやって現実の生活のなかで一生懸命奮闘しておられる方々にこそ、これは必要じゃないでしょうか。最近は、中年以上の人たちは、たいてい仕事でストレスを感じています。解消法といえば、お酒。一杯飲むと、いい気分になる。ウフンとなる。でも毎日やってはダメです。どうしても胃腸と肝臓にくる。四十から越して五十過ぎになるとたいてい肝臓をやられますね。胃か肝臓、あるいは高血圧症かどっちかである。男は十八が絶頂であると思えばよいので、十八以後はみな頽齢(たいれい)、老齢にどんどん進むのです。だから、俺はまだ大丈夫と、徹マンなんかやっているのは、自分のいのちを尊敬することにはならないと思う。そういうことよりも、お互いにハッキリ自分のいのちの翳(かげ)りを感じて、お互いがお互いのいのちを尊敬し合うときに、ほんとうにお互いを害することのない、争いのない、真に平和の時代がくると私は思うのです。」(近藤章久『迷いのち晴れ』春秋社より)

 

自分のこころの響きが聴こえないとき、自分自身を自然の中に連れて行ってみる。
そうして、
海では「海のいのちの響きを聴く。それに応えるように、自分のいのちが共鳴するのです。」
山では「松の息、風の声、生きている響き、いのちの響きがサーッと自分のほうに伝わって心を動かす。自分のいのちがそれに共鳴していくのです。
飲む(アルコール)・打つ(ギャンブル)・買う(性的快感)でちょろまかすのも、もうやめにしませんか。
金銭欲、物欲、名誉欲、権力欲を満たすことによって得られるペラッペラの自我満足に浸るのも、もうやめにしませんか。
そんな浅薄なものを超えて、あなたが、わたしが、縁あって出逢う人たちすべてが、自分に与えられたいのちの響きを、そして相手に与えられたいのちの響きを、共に感じるとき=共鳴するとき、あらゆる存在が揺さぶられ、この世界全体が、とても大きくて豊かな
交響楽として感じられることになるでしょう。

 

 

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