自分で言うのもなんだが、対人援助職者には変わった人が多い。
普段から、その人のまわりに人の輪ができるような、健康な魅力のある人は少なくて(失礼)、
医療、保健、福祉、教育、保育など、その職業に就いたならば、他者から必要としてもらえて、それで孤独にならないで済んでいる人も結構いるのではなかろうか。
むしろ、個人的魅力では人にかまってもらえず(また失礼)、他者にかまってもらうために、そのような対人援助職に就いているんじゃないかと思う場合さえある。
それじゃあ、結局のところ、対人援助のためではなくて、自分のさみしさを紛らわすために、その仕事をやっているようなものだよね。
だから、その職業的役割が済んだ途端、スッと人がいなくなる。
なんだか悲しい話になって来た。

近所の居酒屋にカウンターがあって、そこに高齢のお客さんが一人で来ている場合がちょくちょくある。
時に、この人、本当に話し相手がいないんだなぁ、と思うくらい、店のマスターや女将さんを捕まえて、延々と話をしている人がいる。
マスターや女将さんがちょっと困っている様子もわからないようだ(というより、多少気がついていても、しゃべりたいのをやめられないのかもしれない)。
これもまたお金を払って客になることで、相手をしてもらうのであれば、ちょっと悲しい話になってくる(ホストのお兄さんやホステスのお姉さん相手の場合も五十歩百歩か)。

でもね、職務上のつながり、接待的な対応、枯れ木も山のにぎわい、いないよりまし、くらいの交流だったら、それもまた薄っぺらいんだよね。
本当にほしいのはさ、紛れもなくあなたがいて、紛れもなく私がいて、本音と本音とでがっちりかみ合うような交流なんじゃないかな。
そのために、あなたが、わたしが、今からできることは何かというと、まず自分自身が本当は何者かということをしっかり掴んで、それを表現していくことだよね。
そうすれば、出逢うべき相手も、きっとあなたを見つけやすくなるだろうと思う。

埋め草やちょろまかしは、余計にさみしくなるから、やめませんか。
本当の関係で初めて、さみしさは埋まるのだと思う。

 

 

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