クライアントが、神経症的に、ずるいやりくち、汚いやりくち、依存的なやりくち、思い上がったやりくちで、何かをやらかしたとする。
当研究所に通っているからには、その問題点をズバリと指摘する。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」がなければ、当研究所に来る縁はないので、それは致し方ない。
しかし、私からの指摘を「怒られちゃった。」と解する人たちがいる。
残念ながら、そういう人たちは伸びない。
特に発達障害ベース(特に「自閉スペクトラム」の方。「自閉スペクトラム症」の「診断」がつく人は当研究所の対象外となるが、「自閉スペクトラム」という傾向を持った方は世間にたくさんいらっしゃる)の人に多いが、幼少期から怒られ続けて来たため、どうしても「怒られちゃった」という“形式”に反応するようになってしまい、具体的に何が問題で次はどうしたらいいか、という“中身”を詰めることが二の次になり、そのため、何度も同じ失敗を繰り返すことになる。
もう一度言う。
私から問題点を指摘されて、「怒られちゃった。」と言う“形式”に反応する人は伸びない。
何が問題で、次どうしたらいいか、という“中身”を詰めて行く人は伸びる。
中身を詰めれば、具体的な言動を変えざるを得ず、それを実践すれば、当然、結果が変わって来る。
私はその姿勢=何が問題で、次どうしたらいいか、という“中身”を詰めて、実践するという姿勢を褒めて、本人も段々にその姿勢に自信を深めて行く。
そうなれば、成長の波に乗り、未来が開けてくる。
一度しかない人生、そうこなくっちゃ、である。
だからこそ、“形式”反応の「怒られちゃった。」に注意すべし。