親が全員愚かというわけではない。
親は時に愚かになってしまうという話である。
身近なことで言えば
精神科医として
臨床心理士として
精神保健福祉士として
看護師として
作業療法士として
散々、不登校や引きこもりの当事者・家族に関わって来たにもかかわらず、
いざ、自分の子どもが不登校や引きこもりになってしまうと、一気に愚かな親に堕してしまう場合がある。
抱え過ぎる、甘やかし過ぎる、恐れ過ぎる、イジリ過ぎる、放っておき過ぎる、などなど。
その挙げ句に
「他人のことだと言えるけど、いざ自分の子どもとなると、できないものよね〜。」
「そうよね〜。」
などと、愚かな親同士で、自分のダメさ加減を正当化・一般化して慰め合う者たちさえいる。
そうではなくて、それまで行って来た支援の中味もまた、大いに反省しなければならない、ということだ。
かつて「子育ては難しい。」と連呼するお母さんがいた。確かに子育ては簡単ではないが、その人の場合は、子育て一般の難しさのせいにすり替えて、「私の子育てがダメでした。」「私が愚かでした。」とは言わなかった。
また、子どもにあれこれ過保護に手を出すことに「まだあれがこれで必要なんです。」「折角ここまで来たので、それ以上、追い詰めたくないんです。」と合理化=屁理屈をつけるのがうまい親がいる。
それは親の方の不安であり、つまりは、子どもの中にある生命(いのち)の力を信じていないのである。これは8050予備軍に多い。
もし自分の子どもがそうなったら、
まず自分の非を、自分の親としての足りなさを謙虚に、そして徹底的に認めて、
その上で、改めてその子が生まれたときのことを思い出し、この子の生命(いのち)がどうか健やかに成長して行きますように、と合掌礼拝するような気持ちで接することから始めれば、何かが変わっていくかもしれない。
伸び行く生命(いのち)を止めてはならない。
伸び行く生命(いのち)を曲げてはならない。
伸び行く生命(いのち)を感じなければならない。
親から自分の生命(いのち)が伸び行くことを感じてもらい、尊い存在として合掌礼拝され続けた子どもが成長しないわけがないのである。