なかなかの問題がある両親の許で育った私は、自分の安心・安全のために、常にアンテナを張って、相手の気持ちを読み、空気を読み、流れを読む力を身につける必要があった。
そのお蔭と言って良いのかどうかわからないが、後に精神科医になっても、相手の気持ちを読み、空気を読み、流れを読むことは人一倍得意であり、それが役に立つ場面もあった。

しかし、医者になったばかりの頃は、境界性パーソナリティ障害が一気に増えて来た時代で、相手の気持ちを読み、空気を読み、流れを読むということにおいては、そのクライアントの一部に自分と同類のものを感じていた。
但し、彼ら彼女らは、その力を使ってこちらを巻き込み、共に破壊する方向に持ち込もうとするため、こちらとしても、そんなおまえらの巻き込みなんぞに引っかかってたまるか、こっちはその一枚も二枚も上を行ってやる、と対抗心を燃やし、面談場面はさながら“神経戦”の様相を呈していた。
なんのことはない、それは“我”と“我”の戦いに他ならなったのである。
そこには、子どもの頃と同じく、強烈な相手に対し、自分の安心・安全を得ようとする“保身”の姿勢があった。

やがて私は気がついた。
そこに、相手の成長を願う“愛”がなかった。
それでは“治療”になるはずがない。

そして、相手のこころの奥底にある、健康な、本来の自分を実現しようとする力を感じられるようになって初めて、診察の場は“神経戦”から“相手の成長を願う場”に変わって行くことを知ったのである。

“愛”なきところに“治療”なし。
“愛”なきところに“成長”なし。

これは治療場面だけではなく、家族でも、友人でも、職場でも、どこでも同じであった。

 

 

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