例えば、ある人について、あれがひどい、これがダメだ、と否定的発言をする。
そこで、こちらが、それは問題ですね、と言うと、
でも、こういうところは良い人なんです、と肯定的な発言に変わり、その人をフォローする。

おいおい、否定するのか、肯定するのか、どっちなんだよ、と思うが、こういう面倒臭い発言パターンを身に付けるには、それなりの歴史がある。

一番多いのが、親に対する怒りや攻撃性を抑圧して来た場合で、一方的に怒りや攻撃性だけを表出すると、愛されない、あるいは、反撃される不安と恐怖が走るため、フォローしないではいられなくなる。
それじゃあ、最初から怒りや攻撃性も出すなよ、と言いたいところであるが、それも押し留めていると息が詰まってしまうので、言わないではいられない。
よって、否定しといて肯定する、という、なんともおかしな落としどころができあがるのである。

そして、どうしてもそれをやりたいのであれば、一人で勝手にやってろ、というところであるが、迷惑なことに、表出する相手を欲して来る。
神経症的コミュニケーションは、常に巻き込みを伴う、という典型のひとつである。

そしてこの神経症的パターンに本人がどれくらい呑み込まれているかいないのかは、その神経症的パターンを内省できるか否かによって判定できる。
さっきからあなたは、自分が否定しておいて肯定する、という発言パターンを行っていることに気づいていますか?
ここで、はい…そうなんですよ、と内省できれば、近々突破の可能性がある。
しかし、人間にはダメな面と良い面とがあるもんじゃないですか、などと自分の言動を正当化し、抗弁して来るようであれば、道程は遠い。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持っている人は、内省できるが。
神経症的パターンに呑み込まれている人は、内省できない、ということで、
前者は成長へ、後者は治療へ、となる。
但し、後者のような神経症的問題を抱えながら、自分は精神的に健康だと思って暮らしている人が実はとても多い。
中には、それで精神科医などの対人援助職をやっている人もいる(気づいてないからやれる、とも言える)。
人間の闇は深いなぁ、と思いつつ、八雲総合研究所のミッションは前者の段階に来た人たちなので、そういう問題と向き合って行くことになる。

さて、今、これを読んでみて、自分の問題と向き合うことが、イヤだなぁ、恐いなぁ、と思った人は、まだ当研究所向きではない。
待ってました、成長したいのでどんどんやって下さい、と思った人は、もう十分に当研究所向きである。
というのも、当研究所の目的は、後からあなたに付いた余計なものを祓い、本来のあなたを取り戻すことにあるからである。
ニセモノのあなたは否定しにかかるが、本来のあなたを否定することは絶対にない。

 

 

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八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。