「免疫負債」とは、感染対策として、感染しないようにあの手この手を打つのは良いが、感染しなくなったことで、却って免疫力が落ちてしまうことをいうらしい。
事の真偽は、その分野の専門家に任せるとして、少なくとも私には思い当たることがある。
例えば、両親に愛され、良い先生、友だちに恵まれて、すくすくと成長できるとすれば、それは大変結構なことであるが、
社会に出た後、イヤな上司、意地の悪い先輩、面倒臭い取引先などに出会ってしまうと、忽ちにやられてしまう場合がある。
やっぱり感染して苦労しないと免疫力はつかないし、
イヤなヤツ、変なヤツのいる娑婆で揉まれないと、自分が自分として生きる幹が太くならないのである。
但し、余りにも状態が重症化したり、心が折れるまでやられてしまうと、再起が大変になってしまうので、そこそこの苦労=今耐えられるギリギリのところの苦労が、人を育てるには一番良いのだと思う。
その“ギリギリの感覚”はとても重要で、過剰なストレスのときには、一人でなんとかしようとせず、援軍を頼んだ方が良いし、ノーストレス〜軽微なストレスばかりのときは、安逸に流れないで、何か自分に負荷をかけた方が良い。
やっぱり“ギリギリ”のときが一番成長するんだよね。
すべては、あなたがあなたに生まれて来た以上、ヘタレないで、幹太く、逞しく、あなたに与えられたミッションを果たしながら生きて行くための成長なのである。