かつての外来での話。
一方的かつ独善的な母親からの過干渉かつ支配的な生活に嫌気がさし、家を飛び出して、一人で生活保護で暮らして来た青年がいた。
うつ病として精神科に通院していたが、今風に言うならば、持続性抑うつ症というところで、明らかに生育史から来る神経症的要素の方が大であった。
何度も仕事にチャレンジし、生活保護から脱却しようと頑張っていたが、なかなかうまくいかず、生活保護と自立とを行ったり来たりしながら、仕事を転々としていた。
そんな中でも、親に住所を知らせることはなく、スマホに着信があっても、決して出す、
「またアイツから着信がありました。」
と吐き捨てるように言っていた。
その一人での奮闘ぶりを私も応援していた。
それなのに、である。
ある日の外来、診察室のドアを開けた彼の後ろから初老の女性が入って来た。
ひと目で母親だとわかった。
「あんなにイヤがっていたのに、どうしたんだ?」
と彼に訊くと、目を合わせず、
「もう限界でした…。」
と小さな声で答えた。
自分から実家に帰って母親と同居していたのだ。
「奮闘と引き換えの自立」を売り渡し、「保護と引き換えの奴隷」を選んだのね。
そして母親はお構いなしに、一方的で独善的な話を長々と始めた。
横で黙って聞いている彼に向って
「これでいいの?」
と訊いたが、俯いているだけであった。
そして母親はまだしゃべり続けていた。
本人が魂を売った人生を選ぶというのであれば致し方ない。
これがもし八雲総合研究所であれば、即面談終了となるところである。
「情けなさの自覚」と「成長への意欲」のない人は対象ではない。
しかし、臨床では、本人が通って来る限り、付き合うことになる、忍耐強く、次のチャンスが訪れるまで…あとは寿命との競争だ。
「情けなさの自覚」も「成長への意欲」もない人たちがいる(むしろほとんどがそう)のもこの娑婆の現実である。