生育史の影響で後から付いた「ニセモノの自分」がある。
そんなものが付く前の「本来の自分」がある。
後から付いた「ニセモノの自分」を排除し、「本来の自分」を取り戻して行くプロセスを「成長」という。
「本来の自分」を取り戻して行くプロセスは、例えば、30%→60%→90%→100%というふうに進んで行くかというと、そうはいかない。
30%→60%→90%くらいまでは、まあまあそれでいいのだけれど、終盤がちょっと変わって来る。
90%→100%がスッと行かず、
90%→99%→99.9%→99.99%というふうに進んで行くのである。
つまり、何が言いたいかというと、そんなに簡単に100%にはならないのだ。
かつて近藤先生が
「どんなに分析しても、どんなに治療しても、何か残る。」
と言われたのを思い出す。
もう完全に乗り超えた、もう完璧に払拭したと思っていても、どこかにまだ、後から付いた「ニセモノの自分」の残滓がのこる。
ほんのわずかでも残る。
そして忘れた頃に顔を出す。
何を隠そう、私も、先日、何十年ぶりかで試験の夢を見た。
本当に何十年かぶりである。
勝手にそんなものを受けさせられて
勝手にそんなもので自分の存在を値踏みされて
イヤ~な気持ちで机について、従順に試験が始まるのを待っているのである。
まだそんな夢を見るのか、と愕然とした。
おいおい、夢なんだから、そんな試験会場なんぞメッタメタに破壊して、楽しいテーマパークでも作れよ、と言いたいところだ。
まだ私の中に残滓がのこっていたのである。
だから、簡単に、もうこの問題は解決しました、と言い切らない方がいい。
もうこの問題は“ほぼ”解決しました、と言うのが正確である。
しかし、絶望する必要はない。
そんなどこまでも愚かな凡夫のことをかねてより御存知で、どんなアンポンタンな凡夫でもなんとかして救おうという道もまた用意されているのである。
それがあるからこんな凡夫でも生きて行けるのであった。
おまかせして祈るのみである。