人間の成長段階として、三つの段階を挙げて来た。

親に対し、
恐い相手に対し、
一番弱い人間は「屈従」し、
二番目に弱い人間は「逃避」し、
段々強くなって来ると「反撃」する。

例えば、いじめにこれを当てはめると、
一番弱い人間は、いじめっこに屈従し、子分になってしまう。
二番目に弱い人間は、子分になるのはイヤだがまだ戦えないので、いじめっこに会わないように、逃避して不登校になる。
それが強くなって来ると、反撃できるようになり、登校していじめっこと対決できるようになって来る。

概ねこれで良いのだが、「屈従」と「反撃」の間には、「逃避」とは別のヴァリエーションが存在する。
それが「屈従」しながらちょこちょこ「反撃」するという、中途半端なグズグズ状態である。

具体的には、何かイヤなことを強制されると、(聞こえるか聞こえないかの小さな声で/本人がいなくなったところで)ボソボソ/モゴモゴと文句を言いながら服従する。
不本意なことを命令されると、イヤイヤながら(ヤル気なさそうに)屈従する。
この、はっきりしない、半身の、玉虫色の、どっちつかずの態度が特徴的である。

先にこれを「屈従」と「反撃」の間と言い、あたかも「屈従」よりはマシであるかのように取り上げたが、この態度は、ある意味、はっきりした「屈従」よりも“卑怯”であるとみなされる。
何故ならば、「屈従」するなら「屈従」する、「反撃」するなら「反撃」する、よりも、この優柔不断な態度は“潔くない”からである。
少なくとも日本文化において、“潔くない”ことは、強い軽蔑の対象となる。
「屈従」するなら「屈従」しろ! 

「反撃」するなら「反撃」しろ!
中途半端にグズグズ言いながら従うような、潔くない、卑怯なマネはやめろ!
である。

言わば、「屈従」「逃避」「反撃」が“縦”の三段階とすると、「グズグズ」は「逃避」の“横”にズレている状態と言えよう。
だから気持ち悪い。

そしてどっちにせよ、まずはきちんと「反撃」できるようになることを目指そうよ、それが必ずしも簡単でないことは私も知ってるけどさ。
自分が自分を生きるためには、やっぱりそこを目指す“姿勢”が必要なのさ。

そしてさらにそれらを超えた最後の四段階目、人を「愛する」ようになるためには、単なる“強さ”ではなく、ホンモノの“勁さ”が必要になって来るのである。

 

 

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