私も自分が65歳を越えてみて思うことは、もう残りはそんなに長くないなと感じつつ、まわりの65歳以上の人たちを見ていて、(全員ではないが結構な割合の人たちの)その人格の余りのトホホぶりに絶望的な気持ちになって来る、ということである。
その年でその体たらくでは、死ぬまでには到底間に合わんぞ。
若い頃はそんなことは思ってもみなかったが、今は切実にそう思う。

そこで、仏教が輪廻転生を言うのもわからないではないな、という気になって来た。
仏教の言う輪廻転生が本当にあるかどうかは知らないけれど、
来世を設定しなければ、到底、今生(こんじょう)だけでは間に合いそうにない人たちが多過ぎるのだ。

ある男性は若い頃から坐禅に励んでいて、ああ、どこまで成長するだろうか、と楽しみにしていたが、いつまで経っても、坐禅していてちょっと無我に触れたくらいの体験で満足し、一向に成長しないまま、気がついたら60代になっていた。
坐禅はカルチャーセンターのサロン的な遊戯ではない。生きるか死ぬかの大事である。その切迫感がない

しかし、切迫感を持て、と言っても甲斐なきことは私もよく知っている。
本人の中で煮詰まらないとことには始まらないのだ。
でもそれでは寿命が間に合わない。

かつて法然が、今生でダメなら来世で、と言っていたということを近藤先生から伺ったことがあるが、その言葉がリアルに響いて来る今日この頃である。

それでもね、若かろうが年輩であろうが、人間の無限の成長を信じたい気持ちはやめられない私であった。

 

 

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