昨日書いた「依存しながらブータレる問題」は、思春期の子どもたちや、自立しそこなった大人子どもたちだけの問題ではない。
稀に当研究所に“間違って”面談を申し込んで来る人たちの中にも、それが見られる。
自分自身の問題に対して「情けなさの自覚」を持っている人しか対象にしていないが、その人の成長課題や問題点を指摘すると、“面白くない”とか“腹が立つ”という反応をする人がいる。
ということは、まだ抵抗や反発ができる分だけ、「情けなさの自覚」が足りないのである。
そしてそれでいながら依存はしたい。
おいおい、当研究所はそういう場所ではないぞ。
道場に来ておいて、稽古が厳しいというなら、軽い運動と甘い褒め言葉のサロンにでも行った方が良い。
即面談終了として、お引き取りいただいている。
反対に、成長課題や問題点の指摘を喜ぶ方たちもいる。
あいたたたた、でも、いつまでもこんなところにはいられない。
一緒になって真剣に突破の道を探って行く。
そのプロセスは苦しくも甲斐のあるものである。
そして現に成長して行かれる。
そういう方たちのために当研究所はある。
しかしながら、これが「治療」となると、また話は変わる。
「情けなさの自覚」の醸成にも長い時間がかかるし、
「成長への意欲」の発露にも相当な時間がかかる。
向精神薬が必要になることも多い。
そういうところから始まるのが「治療」である。
じっくりやらざるを得ない。
しかし、そんな中からでも「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を持って、治癒+成長して行かれる方々もいる。
苦しんだからこそ、本当の答えでないと、納得できないという方々もいる。
「成長」だろうと「治療」だろうと、結局は、取り組む「姿勢」、生きる「姿勢」というところに話は帰着する。
依存しながらブータレているヒマはないのである。