「そこで、基本的に幼児時代というものは、母親の問題が非常に大きい。そのときに母親がです、その、もし不安だけ与える、不安だけ与えて、不安と、つまり愛と、愛憎がありますと言いましたけれども、愛が少なくて、あるいは、愛より、愛してはくれるけど憎が多いというふうな状況を作って、憎しみが大きい状況を子どもに作ったら、どういうことになる。そうしますと、この憎しみを主張しようとしますね。そうすると、それは母親に、ところが、幼児の立場から言やぁ、お母さんはもし自分が主張したら、自分を見捨てるかもしれないでしょ、ね。
あなた方もそうですね。旦那さんに対する憎しみがあっても、それをあんまり主張しちゃったら、旦那に捨てられちゃうでしょ。捨てられちゃうと自分の安全がなくなりますね。三食昼寝付きでテレビ観てるってわけにいかないでしょ。だから、結局ね、そうすると自分の敵意はこう抑えちゃってね。我慢するでしょ。我慢したけれども腹が立つ、我慢したものっていうものは、それを抑えなくちゃいけない、抑圧しなくちゃいけない。これは術語で言いますとね。抑圧するといつも敵意があります。
これ、男性で言いますと、上役がいますね。上役が怒鳴ると。そうすると、それに対して、この野郎!とこう敵意が起こる、ね。そうすると、この野郎!と思うけども、これを、しかし、あいつにやるとクビになっちゃうとかね、昇進が遅れるとか、やれどうだとかで、ここで我慢。忍耐、これね。忍耐する。忍耐っていうのは日本の美徳です、これね。我慢に我慢を重ねて行く。その結果、どうかっていうと、心の中に、この野郎!っていう気持ちがある。その気持ちは、忍耐の下にこう抑えられている。沢庵石(たくわんいし)の下の漬物みたいになってる、こうやってね。そういうものが爆発するとね。例えば、前の校長がどっかに行っちゃう。もう大丈夫だ。あいつはもうアレだっていうんで、グーッと出て来てね。前の校長に対してそういう気持ちを思っていたと仮定しますよ、そうすると、今度なった校長先生と、あるいは教頭に対して、もうその先生は文句だらけだな。
そういう具合に、人間っていうのはね、非常によく見ますとね、この、愛憎というものの不思議なね、絡み合いの中で生きてるようなもんです。で、私はこんなことを言うのは、大人のことを言ってるのは、これが子どものことにも関わって来る。子どもの問題っていう場合に、やっぱりね、そういうものをね、見逃してはならないということです。」(近藤章久講演『親と子』より)

 

愛憎のアンビバレンスの中でも特に、憎、憎しみの抑圧ということが問題になって来ます。
愛憎のうち、愛の表出は一般に歓迎されますが、憎の表現は抑圧されやすいのです。
そうなりますと、表出されない憎は、いつもその人の中にあることになります。
子どもでも大人でも、我々の中に抑圧されいる感情で、最も大きいものは、憎=怒りなんじゃないでしょうか。
虐待された子どもも、マルトリートメント(不適切な関わり)された子どもも、そのときは、親は恐いし、しかも愛着の相手でもあるし、憎=怒りは抑圧されてばかりとなります。
また、夫や上司にひどい扱いを受けた大人も、利害関係や恐怖から、その憎=怒りは抑圧され続けています。
けれども、その憎=怒りはなくなってはいません。
よって、それが後になって、適当な機会をとらえて噴出して来るわけです。
このからくりをよく知っておく必要があります。
そして、できるだけ早いうちに、その憎=怒りを健全な形で発散できないか、解消できないか、ということが重要な問題になってくるわけです。
とにかく
子どもは憎んでいる、怒っているということを
大人は憎んでいる、怒っているということを
自分は実は憎んでいる、怒っているということを
よくよくわきまえておきましょう。
やっぱり感情はね、成仏させてあげないといけないのです。

 

 

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