一時「親ガチャ」という言葉が流行った。
「ガチャ」(カプセルトイの販売機=ガチャポンによる)のように、どういう親の元に生れるか、それがどんな酷い親であろうと、子どもは親を選べないという意味だったように思う。

そうしたら、今度は「医者ガチャ」という言葉に出くわした。
医療機関を初めて受診した際、どんな医者が出て来るか、それがどんな酷い医者であろうと、患者は医者を選べないという意味らしい。
厳密に言うと、今はSNS上の書き込み情報などを読むことができ、或る程度の下調べも可能になって来ているし、その医者と合わなければ病院を変えれば良いので、まだ「選べる」方かもしれない。
また、医者の方からすれば、「患者ガチャ」もあり、一方だけの問題でもない。

そこからさらに眼を大きく転ずれば、多少の程度の差はあれ、この世には、「親ガチャ」「患者ガチャ」どころか、「入学ガチャ」「進級ガチャ」「クラスメートガチャ」「担任ガチャ」「入社ガチャ」「異動ガチャ」「上司ガチャ」「部下ガチャ」「転職ガチャ」「引っ越しガチャ」「結婚ガチャ」「入店ガチャ」などなど、「ガチャ」が数限りなくあることが観えて来る。

そう。
察しの良い方はお気づきであろう。
「ガチャ」には、思い通り、希望通りにならないもの/人に当ったらイヤだなという、はっきり申し上げて、自己中心的願望のニュアンスがあるのであるが、
本来は、出逢うべくして出逢う「縁」という意味なのである。
それを選り好みする(これはイイけど、あれはイヤ)観点からすれば、「ガチャ」という表現になる。

この世の中は、残念ながら、思い通りにならないようにできている。
その思い通りにならないところから
そこをまた思い通りにするために頑張りに頑張るのか
思い通りにならないことが気に入らない自分(自我)というものを超えて行こうとするのか
で、その後の展開は、天と地ほど違って来るのである。

そう思うと、「ガチャ」から学べることは、実はたくさんありそうだ。

 

 

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