朝早めの仕事が入ったとする。
その分、朝早く起きなくちゃ、と思う。
この「なくちゃ」=「ねばならない」が動き出した途端、睡眠が浅くなり、夜中に何度も目が覚め、結局、翌日は睡眠不足気味となる。
そんなことが何度もあった。
そんなことくらいで、どうしてこうなるんだろう、と昔から思っていた。

それは「ねばならない」が動くと同時に、「そうしないと大変なことになる」「そうしないと責められる」が働くからであり、そうなるにはそれだけの生育史上の体験があった。
子どもが生まれつき、そんなふうであるはずがない。
相手(=親や先生や大人たち)の意向に添わなかった、合わせられなかったときにくらった叱責や非難による不安と恐怖の体験の積み重ねが、後生(こうせい)にまで祟っているのである。

現実には、万が一寝過ごしたり遅刻したところで、市内引き回しの上、磔(はりつけ)獄門にはならないし、この世の終わりも来ない。
しかし、それは理屈であって、理屈は理性しか納得させられない。
不安と恐怖は感情であり、理屈は感情の前では無力なのである。
よって、感情の面での安心を勝ち得なければ、この問題は解決しない。

従って、過去の内省、分析よりも(分析は理性的理解しかもたらさない。知的に整理はできるがそこまでである)、丹田呼吸で肚が据わる方が余程、根本解決となる。
肚が据われば、殺すんなら殺せ、で、殺されることが恐くなくなれば、恐いものは何もない。
ちょっとしたことで眠りが浅くなるような小心な自分が、今度は、世間一般の人たちよりも遥かに揺るがない境地を獲得できる。
これが面白いところである。
よって、小心な人は大歓迎である。
特に、自分が小心であることを、良い格好せず、認められる人で、かつ、その小心さを乗り超えたいと心から望む人は(結局は「情けなさの自覚」と「成長への意欲」ということになる)、自らの伸びしろに大いに期待していただきたいと思う。

 

 

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