感情についてはしばしば取り上げて来た。
通俗的には、人間が成長すると、感情的にならず、いつも冷静沈着、泰然自若としている、というような大変な誤解/曲解が横行している。
そんなことがあるはずはない。
それじゃあ、まるで不感症の、鈍感なバカである。

そうではなくて、むしろ喜怒哀楽の感情は豊かに、そして綺麗に現れるようになる。
しかし、未熟な頃と違うのは、その感情がサラサラと流転するようになるのである。
感情の本質として、感情は長引かない。
長引くときは、その感情の元となったもの/ことに対して固着/執着が起きているのである。
場合によっては、その固着/執着によって、元々の感情を増幅させたり、変質させたりしている。
それは感情本来の性質ではなく、人間が二次的に作り出したものである。
それが余計なのである。
人間が成長すれば、その余計なものがなくなる。
よって、感情は豊かに、しかしサラサラと流転して行くようになる。
それが感情本来の姿。

たとえそれがトラウマのような出来事に基づく感情であったとしても、思い出す度に、何らかの感情が起きるであろうが、それが段々とブツ切りのようになって来る。
つまり、思い出す度に、何らかの感情は起きるが、連想によって、または他の刺激によって、簡単に流転し、そこに留まらなくなって来るのである。
ネバネバしていたのがサラサラになって来る。
そうしてやがてトラウマ自体が瓦解して行く。

そんな感情の消息を、妙好人の吉兵衛さんがズバリと言い表している。

「俺(わし)も凡夫だから腹を立てる。しかし根が切ってあるので実がならぬのだ。」

「根が切ってある」の前に「阿弥陀さんのお蔭で」を入れると、より明確になる。
その方が、自力でなく他力で切っていただいている、という感じがはっきりする。

今日も明日も、相も変わらず、腹立ちは起きる。
しかし、我々が成長すればするほど、腹立ちもまたサラサラサラサラと流転して行くようになるのでありました

 

 

お問合せはこちら

八雲総合研究所(東京都世田谷区)は
医療・福祉系国家資格者と一般市民を対象とした人間的成長のための精神療法の専門機関です。