「子どもにとって環境っていうことを段々と今、私は考えてみまして、環境ということ、親子ということが非常に大事で、つまり、最初の母親と子どもの触れ合いっていうものが一番最初の問題です。…
で今、母と子の問題を持ち出したわけです。母と子の問題は、同時に、母が単に一人じゃなくて、夫がある以上は、ここには夫婦の問題もあります。父親と子どもの問題も出て来ます。親子の問題と言っても良いだろうと思いますね。
さあ、そこでです。わかりやすくするために、そのね、お母さんと子どもの問題から出発しますと、あの、非常に、こう、なんと言いますか、単純なことですから、ひとつ、ご経験のある方はわかると思いますが、子どもが最初に、赤ん坊がですね、男の人は絶対にわからない、女の人しかわからないんだが、乳房をくわえます。自然にこう、あれは、あの、吸う本能がございましてね、それで自然に、こう、やるわけです。これは動物全部にあるわけですね。こうやる。そのときに、どうも、吸ってるうちに、それはまず胃に対して非常に良い、その、満腹感を与える、満足する。と同時に、唇ね、唇の中に含む、唇の触感、こうしたものが快感を与えます。
ですから、乳房は単に、二つの目的、一つは、ほんとは三つあるんですが、一つは、自分が飢えたとき、食べたいとき、その成長する欲望である食欲、それを満たしてくれる。喜びがある。第二には、そういう唇による触感によって快感がある。第三は何かというと、そこで実は、後に母の胸に抱かれるというふうな感じで、安心感があるんですね。この三つが、実は、あの、子どもが最初に感じる環境で、そういう三つが満たされたときに、赤ん坊は非常に満足するわけです。そういう意味で、大変簡単に言いましたけれど、それは基本ですから、ひとつね、ずっと覚えておいていただきたいです。
で、そういうものがですね、あって、のんびりしてますと、それにこう、例えば、お腹が空いていなくとも、お母さんの乳房をこう口で含んでいますね。お母さんがそれをこう取ろうとしますね、お母さんも仕事がありますから。そうするとね、イヤでしょ。その最初のね、ガチッとこう噛むんですね。そのとき歯が生え始めていると、お母さん、痛いでしょ。お母さんとしては、非常に、自分自身も、これは母親の方にもまたね、これは父親、男にまたわかんないことだけれども、乳房を含ますということは快感です、喜びです。我が子を育んで行くという最初の、この、気持ちですね。そういうものがね、あるわけですね。そういう気持ちでやってる。両方ともハッピーな、ハネムーン時代ですね、これはね。
だけども、それがね、ちょっとね、この、お母さんが外す、電話がかかってきた、ちょっと。そうすると、そういうことがあると、非常にね、自分の快楽を奪われるわけですね。そういう自分の安全感を奪われるわけでしょ。そこで子どもは、ギュッとそれに対して、自分に不安感を与え、不満を与える人間に対してね、最初の敵意というもの、その最初の敵意は、敵意っていうのは心理的にも今、大人にも言いますけども、どういうことか、具体的に表れて来るのは噛むことです。乳房を噛まれなかったお母さんはいらっしゃるかな? 人工哺乳をやらない限り、必ずこの経験はおありのはずだと思う。なんでもない、まあ、この子はってな調子でこう過ごしていらっしゃるかもしれんけれども、それはそういった心理的な状況を含んでるっていうことを考えておいて下さい。ていうのは、これが僕は、これくらいのときに起きる敵意という、非行だとか、いろんな問題の元になる敵意の、最初の表現だからです。
つまり、その場合に、非常に子どもはね、その、矛盾した気持ちになるわけですね。矛盾した状態に置かれるわけです。これは大人でもあるんですが、はっきり言うとね。矛盾した状態、どういうことか。片っ方でお母さんに頼り、お母さんが自分のいろんな安心感とか快楽とかいろんな欲望を満たしてくれる、その源ですね。ですから、それに対して依存するといいますね、頼りにするわけです。片っ方で頼りにし、それを必要とした。ところでお母さんは同時に、自分からその安心感とか楽しみとかを奪って行く人でもある。同じ人が、片っ方では快楽の源であり、安心感の源である。不安を感じない源であるのにも拘(かか)わらず、その同じ人が自分から安心感を奪って行く。ひとりの人に対して、愛と憎しみと、大人の表現を使うと、そういう形になるわけですね。」(近藤章久講演『親と子』より)
まず、母親が自らの乳房から子どもにお乳を与えることの三つの意味、これを押さえておきたいと思います。
ひとつは、空腹を満たしてくれる、満腹感を与えてくれる、食欲を満たしてくれる喜び。
ふたつには、母親の乳首を吸うという唇による触感、その快感の喜び。
みっつには、母の胸に抱かれるという安心感。
そして次に、そうは言っても、母親には母親の生活があるわけで、その三つの喜びをいつも子どもに与えていられるわけではない。
よって、子どもにしてみれば母親は、片方で、上記の三つを与えてくれる愛しい存在でありながらも、もう片方では、その三つを奪う憎らしい存在となるのである。
ひとつの対象に対して抱く相反するふたつの心的傾向。
それがアンビバレンス(ambivalence)(ドイツ語だと、アンビバレンツ(Ambivalenz))=両価性。
そしてこれは母子関係だけでなく、さまざまな(特に近くて大切な)人間関係において見られる現象なのである。
あなたには思い当たる人、いませんか?
そのことについてはまた次回に。