親と喧嘩して、仕送りも止められ、四畳半風呂なしアパートで暮らしていた頃、アルバイトで大学の授業料や生活費を稼いでいた。
仕事と学業との両立は大変で、収支やら国家試験やら、先のことを考えると、時に重苦しい気持ちになることもあった
そんなとき友人からビールの500ml缶を一本もらった。
飲むこともない生活だったが、夕食時に飲んでみると、気分に変化が起こった。
事態は何も変わっていないにもかかわらず、今後のことが何とかなりそうな気分になったのである。
我ながら、単純だなぁ、と思いつつ、これが“気分”というヤツだと思った。

我々は、理性的・合理的にものを考えているように見えて、実は悲観も楽観も“気分”に支配されていることが多い。
その証拠に“気分”は簡単に流転する。

認知症の妻を介護している高齢男性が、ある日介護に疲れ、将来を悲観して、心中でもしようかと思い悩んだ。
そんなとき、娘家族が二人の様子を見にやって来た。
すると、3歳の孫娘がおじいちゃんに抱きつき、「おじいちゃん、大好き!」と頬にキスをしてくれた。
事態は何も変わっていないにもかかわらず、今後のことが何とかなりそうな気分になった。
家の中が明るく見えた。
これも“気分”。

ある日、上司に怒られ、財布を落とし、犬のウンコを踏んでしまった女性がいた。
なんて日だ!としょげていたが、帰り道、前を歩く人が手袋の片方を落としたので、拾ってあげたら、韓流風イケメンお兄さんからテレビドラマの一シーンのような爽やかな笑顔で「ありがとう。」と言われた。
それまでの出来事がなくなったわけでもないにもかかわらず、今日もなんだか良い日のような気持ちになっていた。
これも“気分”。

よって、こういった“気分”の特性をとらえて、たとえ悪い“気分”にとらわれたとしても、ちょっとしたことで良い“気分”に転じられる、ということを覚えておきましょう。
そして、どうやっても“気分”が転じないことに関しては、腹を据えて見つめていきましょう。
それは“気分”の問題ではなく、しっかりと勝負すべきテーマです。

 

 

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