「内省」とは自分で自分のこころを見つめることを指す。
しかし、世の中には「内省」に乏しい人がいる。
しかも、厄介なのは、当の本人が、
「内省」など微塵もなく、そのまんまでいるのなら、それはそれで致し方ないのであるが、
中には「自分は内省できている」、下手をすると「自分は他人よりも内省できている」と思っている人がいたりして、事態はなかなかに複雑である。
それ故、自分が内省に乏しいということに気づく(そして認める)までに、結構な時間を要することになる。

ちなみに、八雲総合研究所の「人間的成長のための精神療法」は、「内省」を基軸として「情けなさの自覚」と「成長への意欲」を求めているため、「内省」に乏しい方はなかなかに苦労することになる。
「内省」が苦手な分だけ、私がそこを補って「内省」をガイドして行くことになるのだが、問題は、本人にとって重要であるがなかなか認め難い問題に直面したときに、
私を信頼し、そして厳しくとも真実と向き合おうとするか(痛いけれど松田先生がそう言うのならきっとそうなのだろう)、
私を信頼できず、また、その問題を認めることもできず、脱落して行くか、ということになる。

精神科臨床においても、脳の機能的に内省が乏しくなってしまう精神障害はいろいろあるが、いずれにしても内省に乏しい=自分一人では気づきにくいわけであるから、上記の私の場合と同じく、苦手な自分の代わりに、何に頼るか、誰に頼るか、ということになる。
現実には、自分の苦手なところを補完してくれる、信頼できる人間を見つけるのがベストである。
痛いけど、この人がそういうのならきっとそうなのだろう、と認められれば、開けて行く未来がある。
そういう人を見つけられなければ、自分が気づかないうちに、迷走、暴走し、他者を傷つけ、自己を貶(おとし)める危険性が高まる。
それでも自己流でやるのを選ぶのであれば、それに伴って生じる結果は、自己責任において引き受けていただく他ない。
あとは面々のおはからいである。

内省に限らず、自分ができないことは、信頼できる他人にお願いするのが、共に生きるこの世界の大事な原理であると私は思っている(私もいろいろお世話になります)。


 

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