「利益相反」とは一般に、「ある行為により、一方の利益になると同時に、他方への不利益になる行為のこと」をいう。

私が関わるカウンセリングやサイコセラピー、精神科医療の分野では、「利益相反」ということに余り関係がないように見えるが、実は絡んで来ることがちょくちょくある。

例えば以下は、学校とスクールカウンセラーが関係して来る場合である(学校とスクールカウンセラーの名誉のために断っておくと、子どもの成長のために誠実な努力を続けている学校やスクールカウンセラーが存在することを私はよく知っている)。

時にスクールカウンセラーが、学校側から直接に、あるいは、暗黙裡に不登校の子どもを学校に登校できるようにしてくれ、という要望を受けることがある。
そして、スクールカウンセラーの雇用は実質上、学校側に握られている。
そうなると
、スクールカウンセラーが自分の雇用を守り、学校側からの自分の評価を上げようと思えば、子どもに対して登校を促す関わりをすることになる。
しかし、当の子どもの成長にとって、少なくとも当面の間は、今の学校に登校しない方が良いと思われた場合、スクールカウンセラーは板挟みの立場に立たされる。
つまり、登校促進が、学校にとって利益となる(不登校を減らす)と同時に、子どもとスクールカウンセラーにとって不利益となり(子どもの成長を阻害することになりかねない/スクールカウンセラーとして魂を売ることになる)、
反対に、不登校容認が、子どもとスクールカウンセラーにとって利益となる(今の子どもの成長を守ることができる/スクールカウンセラーとしての矜持を守ることができる)と同時に、学校とスクールカウンセラーにとって不利益となる(不登校者数が増える/スクールカウンセラーとして次年度の契約はなくなるかもしれない)。

こういうときにスクールカウンセラーの姿勢が試される。
そもそも誰のために、何のために、スクールカウンセラーをやっているのか?
それが子どものため、子どもの成長のためであることは言うまでもない。
「利益相反」の中で、それを貫けるかどうか。

似たようなことが、病院職員のメンタルヘルスのために精神科医が一般病院に勤務している場合にも起きて来る(病院と精神科医の名誉のために断っておくが、職員の幸福を真に考え、誠実な努力を続けている病院や精神科医も存在する)

例えば、看護師不足の折、病院としては看護師に辞めてほしくない。
しかし、その看護師の人生単位の幸福を考えると、
退職することが正しい選択の場合もあり得る。
そこで精神科医は板挟みの立場に立たされる。
つまり、看護師に勤務継続を促すことが、病院にとって利益となる(看護師の数が減らない)と同時に、看護師と精神科医にとって不利益となる(看護師の人生を不本意なものにすることになりかねない/精神科医として魂を売ることになる)。
大体、“体制派の犬”のような精神科医のところに誰が相談に行こうと思うだろうか。慰留されるとわかっている相談に出かけて行くはずがない。
反対に、看護師の退職容認が、看護師と精神科医にとって利益となる(看護師の人生の意味と役割を守ることができる/精神科医としての矜持を守ることができる)と同時に、病院と精神科医にとって不利益となる(看護師が減る/精神科医の今後の契約更新はなくなるかもしれない)。

こういうときに精神科医の姿勢が試される。
そもそも誰のために、何のために、病院職員のためのメンタルヘルスに携わっているのか?
それが職員のため、職員の人生単位の幸福のためであることは言うまでもない。
「利益相反」の中で、それを貫けるかどうか。

それでもし私がスクールカウンセラーやメンタルヘルス担当の精神科医として雇われ、なんでもいいから、子どもたちが登校するようにしてくれ、看護師が辞めないようにしてくれ、と頼まれたならどうするか。
私が一番最初に辞表を書くであろう。

(但しもし私にその学校や病院の体質を少しでも改善・改革して行くミッションが下っていたとしたら、そこまでの縁があったとすれば、悪戦苦闘しながらでも改善・改革に取り組んで行くかもしれない)
 


 

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