ある人がある人と結婚した。
ラブラブの間は良かったが、一緒に暮らすうちに、相手のいろいろな問題が見えて来た。
で、どうするか?である。
面倒臭いから斬って捨てるのか。
相手の問題も抱えて生きて行くのか。
相手にちょっとでも問題があると、容赦なく斬って行くのもいいけれど、みんな人間だもの、どこかにきっと問題がある。
斬っても斬っても、次の人次の人に問題が見つかって行くうちに、そして誰もいなくなった、になるかもしれない。
かといって、結婚した以上、相手にどんな問題があろうと添い遂げなければならない、というのも考えものである。
「ねばならない」で強要された「糟糠の妻」などは美しくない。
じゃあ、斬るのか、抱えるのか、どうするのか。
斬るも抱えるも、縁で決める、ミッションで決めるのである。
縁がなければ、ミッションがなければ、抱えたくても離れて行く。
縁があれば、ミッションがあれば、イヤでも抱えることになる。
そしてどちらかというと、各人の自我が強まり、斬る方が増えている現代、
後者の、縁があれば、ミッションがあれば、抱えることになる、ということを今日は強調しておきたいと思う。
本来、その必要はないのに、縁とミッションによって、相手の問題を一緒に引き受けて行く、相手の重荷を一緒に背負って行くこともあるのである。
例えば、
ある人は、待望の養子縁組を行ったが、成長するうちにその子どもに障害が見つかった。
ある女性は、大学教授と結婚したが、暮らすうちにその相手に末期癌が見つかった。
面倒臭ければ斬るだろう。
しかし、そこに縁があれば、ミッションがあれば、即ち、私を通して働く大いなる愛(私の愛ではない)があれば、それはあなたの問題だから知らない、ではなく、手を差し伸べて、一緒に背負って行くことになるのである。