お殿さまというのも辛いもので、少しも気を遣わないで、万事思い通りになるわけでもない。
却って、殿さまだからこその気遣いが要求されることもある。
例えば、食事ひとつを取ってもそうである。
好物のごちそうばかり食べ放題で「重畳(ちょうじょう)、重畳。かっかっか。」と言ってばかりはいられない。
たまに何かの手違いで、不味いものが出たり、辛かったり、甘かったりすることもある。
そんなとき、「これは不味い!」などと言った日には、膳奉行や御膳番が腹を切ることになるかもしれないのである。
きっと不味い料理を笑顔で食べたお殿さまもいたであろう。
何をどこまでどう言うのか言わないのか、は時に殿さまにとって大問題であった。

そしてそれは江戸時代のお殿さまだけの話ではない。
現代でも、社長が社員に、上司が部下に、何をどこまでどう言うのか言わないのか、は変わらず大きな問題なのだ。
ただの垂れ流し、言いっ放しで言って良いのであれば、事は簡単である。
しかし、今どきの社員はすぐに辞めてしまう。
いや、それこそ今どきなら、パワハラで訴えられるかもしれない。
社員や部下を育てるつもりなら、当然、伝え方が変わって来る。

結局、「裁くのか、育てるのか」ということになる。

裁くつもりなら、全部言って、斬って捨ててしまえばいい。
しかし、育てるつもりなら、むしろ何を言わないかが重要となってくる。

こういうことは、特にカウンセリングやサイコセラピーの分野において、一層重要となる。
気づいた問題点を全部指摘してしまえば、クライアントは怒り出すか、壊れてしまう。
かといって、何も言わず、よしよしを続けていれば、クライアントは成長しないままに終わる。
何をどこまでどうどのタイミングで言うのか言わないのか。
これも、「頭で考えてやる派」と「直観でやる派」に分かれるが、「はからい」と「操作」を嫌う私は後者である。
​但し、何をどこまでどうどのタイミングで言うのか言わないのか、において、どうしても譲れない一点がある。

それはやっぱり「そこに愛があるんか」ということである。

不味い料理を笑顔で食べたお殿さまの胸の内にも家臣への愛があったのだと思う。

 

 

 

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