「私たちは、最初に、おまえはダメだと、よく親が、おまえはダメな子だとか否定的な言葉を言いますね。子どものときはね、大人になったってそうでしょうなぁ、誰かから、上の上長の人とかね、あるいは同輩の人から、おまえはダメだってなことをやられるとですね、クシャンとなっちゃってね、オレはダメだ、と帰りにヤケ酒を飲んじゃったりなんかすると、いうふうなことになりがちですね。つまり、そういうふうな、何かね、人の言(げん)によってね、自分っていうものが上がったり下がったりする。バカだと言われるとバカだと思ったりね。オレはダメだと思ったり、とにかく人の言葉で非常に左右されるところがありますね。まあ、大人になってもそのぐらいです。子どものときはね、それを考える力ないでしょ。そうするとね、親が言った通りに自分も思うわけですね。
今でも、皆さん、どうでしょうか。自分でお考えになって、例えば、小さいときに自分が親に、おまえはとても算数が良いな。おまえはなかなか運動神経が、運神が発達しているな。こういうことを言われたら、なんとなくね、ポジティヴな、積極的なことを言われてですね、なんとなくそうだと思っちゃって、背負(しょ)ったりなんかしてね、大いにそのうちにやっちゃう。ところが、おまえは算数がダメだなって言うとね、俺は算数はダメなんだと決めちゃって、もう諦めちゃって勉強しない。勉強しないから益々ダメになっちゃう。まさにその証明しちゃうわけですね、自分で。そういうからくりが心の中にあるわけ。それはね、我々は、最初は、フロイドが言ったように、親の言ったことを飲み込む、インテイク(intake)言いますがね、飲み込む、ただ飲み込んじゃう。…
常に他と比べられたと、つまり、そこんときに親に、第二のアレは、人と比べて親が評価したでしょ。あれを見なさい、これを見なさい、そうすると、自分をね、評価する場合にね、自然に、無意識に、親の教えたやり方で、俺は、例えば、会社に勤めると、あいつに比べてどうだろう、今度は出世はどうだとかね、それから、あれはこうだか言ってね、そんなふうになっちゃうんですよ。おかしなもんでね。
いわんやね、そこで親ばかりじゃなくて、今度は先生がですね、教室に行くとね、こう、表かなんかやって大いにこう、教育的効果を上げている人がいるわけですよ。点数をやってね。試験いっぱいやって。こうやってるでしょ。しょっちゅう人に比べられてる。おまえは何番中の何番。これはもうね、人と比べてることですね。
これをですね、簡単に言えば、いつも我々の考え方の中に、大人になっても、そりゃあ、体は大人になりますよ、だけどその考え方たるや、子どものときのそのままでいることが多いわけです、ね。これを、ですから、ある人は小児的態度と言うわけですけどもね。我々は小児的態度でもって、小児的態度と思わないでね、やってるわけですよ。あいつはオレと一緒に入ったのに、近頃どんどんこう、うまく行ってると。だから、どうも、オレはダメだ、とかね。やっぱり、あの先生が小学校のときにダメだと言った。オレはダメなんだ、ダメだ、なんて考える。…
そこんところでね、我々の中に何かこう、社会全般に考えるのに、なんか人といつも比較してですよ、自分の価値を決める。そういうね、考え方が非常にあるんですよね。…
まあ、そういうね、言うならば、外からのね、つまり、我々の外側にあるものによるね、価値観によってですね、そのスタンダードで決められる。しかも、自分もですよ、大事なとこはそこなんだ、小さいときからそれを飲み込んでるから、自分自身も自分の価値に関して無知、無明(むみょう)、ね。要するに、そのね、やっぱり人の言うことで自分もそうだと思ってるわけ。
だから面白いことは、逆に行きますとね、人のことで行くと同じことなんで、悪いっていうかね、そういうね、ガッカリしたことばかり言いましたけどね、そればかりじゃなくてね、今度は人に褒(ほ)められる。君は偉いなぁ、なんとかって言うとね、急に偉くなったような気になっちまう、ね。本質は違わない。課長さんが部長さんに、これ、ちょっと差し支(つか)えがあるかもしらんけども、別に本質は変わりないわけ、その人はね。しかし、課長から部長になったら非常に偉くなって、手下が五人だったのが二十人になったっていうと、オレは二十人を、こうなっちゃう、ね。ところが、本質をよく見たらね、余り変わってない。ヒゲの本数も変わらないしね。少々白髪(しらが)が生えたくらいのもんでね。そう、そのね、本質は変わってないわけ。だけども、そういう具合に、他の評価によって変わる。つまり、これを我々が、地位とか、名誉とか、役付きとか、役付きじゃないとか、つまり、そういう価値観というものがたくさんあるわけね。こういうものが我々を支配しているっていうことを私は言いたいんですよね。人間の心はそういうものに支配されてる。」(近藤章久講演『人間の可能性について』より)
子どもの頃、親から先生から言われたことをインテイク(intake)=鵜呑みにしたのは仕方がなかったのです。
小さくて弱い子どもだもの、自分の幹は細いし、親からも先生からも愛されたい・評価されたいですから。
しかしそれがね、大人になってからもそのまま、小児的態度のままだと問題になるわけです。
驚くことに、実は大半の大人がそうなんですよ。
そういう意味では、まだ本当に大人になっていない人たちがほとんどなのです。
大人になりましょうよ。
自分を生きましょうよ。
そのために、まず他者評価の奴隷、比較評価の虜(とりこ)という悪しき習慣が暗躍していることに気づくのが第一歩。
そこから本来の自分を回復するという、大切な大切な闘いが始まります。