ある定食屋さんで夕食を摂っていたら、隣のテーブルに若いお母さんと小学校1年生くらいの女の子と幼稚園年少さんくらい女の子の家族連れが来ていた。
食事し終わったお母さんが、上のお姉ちゃんに向かって
「宿題、やったんだっけ?」
と問うと、女の子は決まり悪そうに
「まだ…。」
という。
続けてその子は
「今、ここでやる!」
と言い出したが、お母さんは
「帰ってからやんな。」
と却下。
そして問題はこれからで、そのお姉ちゃんはそれを聞かず、お母さんに向かって両手を合わせて
「お願いっ!」
と要求したのである。
ああ、こういう女の子は松田一族にはいなかったなぁ、と思いながら見ていると、そのお母さんも
「しょうがないなぁ。」
と認めて、娘に宿題をさせたのであった。
こういうお願いの仕方、あるいは、甘え方は、そういうやり方が有効であるということを経験した子どもしかやらないものである。
松田一族のように親が支配的な家庭で育った子どもは絶対にやらないと思う(お願いしたって潰されるに決まっている)。
お願いする、甘える、ということ自体は、人と人との関係における健全な選択肢のひとつであり、それ自体に問題はない。
むしろ、どのような場合でも、お願いできない、甘えられないとしたら、それこそ問題である。
しかし、だからといって、何でもかんでもお願いや甘えを認めていたら、依存的で、操作的な気持ちの悪い大人が出来上がってしまう。
即ち、子どもからのお願いや甘えに対して、親が是々非々で応える。
健全なお願いや甘えは許し、不健全なお願いや甘えは許さないことが教育的であると言える。
そこで親もまた試され、子どもを育てることは自分もまた育てられること、という真理が成り立つのである。
さて、あなたは健全な「お願いっ!」ができますか?