親戚のおじさんで、急に黙り込む人がいた。
妻や子どもが心配して
「どうしたんですか?」
と何度も訊くのだが、何を言ってもダンマリを決め込んでしまう。
結局、原因もわからないため、時が経つのを待つしかなく、その間家族は、ピリピリとした沈黙の空気感に付き合わされ、疲弊というか、正直ウンザリしていた。
聞くところによると、そのおじさんの母親というのが大変に支配的な人で、息子にとにかく勉強をさせ、その後ろに座って少しでも息子の集中力が切れると、手に持った竹の物差しでピシッピシッと叩いていたという。
それを聞いただけでも、おじさんの中に出すに出せない怒りがいかに渦巻いていたかが想像できる。
そうやって、ギリギリの反撃手段として覚えたのが沈黙だったんだな、と察しがついた。
出ようとする10の怒りを、10の力で抑圧し、計20使って差し引き0にしてていたのだから、エネルギー消費も相当なものである。
そして沈黙されれば、周囲は
「どうしたんですか?」
と訊かざるを得なくなる。
しかし、彼は答えない。
その巻き込みが非常に面倒臭い。
こういう人は決して無人島で一人で沈黙はしない。
沈黙して困る相手がいなければ沈黙する甲斐がないからである。
だからといって、周囲がその沈黙を無視すれば、本人はさらにヘソを曲げ、周囲を困らせるためのダンマリ期間は一層長くなるのである。
あぁ、面倒臭い。
後日談として、そのおじさんの場合は、高齢になって認知症となり、良い具合に抑圧が外れて、何でもしゃべる、喜怒哀楽も示せるようになったそうである。
そうなって初めて面倒臭くなくなった。
しかし、そうなるまで待ってはいられない。
そもそもの話、沈黙に走るのも、小さくて弱い子どもの頃なら仕方がないが、いい年こいた大人がやることではない。
大人なら、自分自身とも相手とも勝負できるはずである。
自分で解決しなさい。
それができないなら、周囲に迷惑をかけないように、やっぱり無人島で暮らしなさい。