たまには硬派な文章を解説抜きでお示ししたい。

「傍観者になれない人生とは、公正な視線を貫くことである。そのためには、賭けた夢も潰(つい)え、もちろん出世も望むべくもない。しかし、この公正な視線が贏(か)ち得るものは、無償の行為である。そして、自分が成しとげたまことの…仕事が残るはずである。」
「俺は強いんだぞ、と誇示した者にかつて勁かった奴はいない。むしろ、名もない漁師や職人に勁直な人間が多い。かつて私は海のすぐそばに棲んでいたことが何年かある。私はそこでいろいろな漁師と知りあった。彼等はみんな貧しく正直な男達だった。海に舟をだしてたったいっぴきの魚しか釣れない日があっても、それが彼等の生活を支えていた。そこには胸に迫ってくる生活の現実感があった。こうした彼等の日常を支えていたものが何であったかというと、それは勁さであった。彼等は弱者でありながら勁さをそなえていた。」
「知識人とは何か。これにたいする明確な答は得られないと思う。はたして現代の日本にまことの知識人がいるのかどうか、いたとしたら、それはごくわずかな数ではないか、という気がする。知識人と自他ともに認めている人が、実は知識の仲買人にすぎなかった、というような場合が多いのは何故だろうか。仲買人の数は実に多い。いま数えただけでもたちどころにかなりの人の名前があがってくる。…彼はヨーロッパに知識を仕入れに行き、こんどはそれを日本で切りうりするわけである。…仲買人の知識に勁さが欠けていることは述べるまでもない。また、切りうりといっても、たいがいは水でうすめて売るのが仲買人の常套だから、勁さがともなうはずもない。」
「現代の知識階級に欠如している最大のものは勁さである。」
「勁さは悪に対してもっともつよい反応を示すはずである。」
「他者の反応がなくとも恥を正確に恥と感じる能力をそなえた人間もいる。」
「わが国では、武士の倫理思想のなかで自覚的に継承されてきた名誉のかたちがある。これは廉恥心(れんちしん)と表裏をなしている。廉恥とは、それを知らない人のたまにやさしく解釈すると、心が濁っておらず恥を知る心があることを言う。」

 

感想のある方はまた面談のときに。

 

 

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