「生きている私達は、我々の知性だけでなくて、見るものだけでなく、見えないものをも直感、直覚して、私達にそれを感動を持って感じさせてくれる働きを持っているのです、それは自ずから我々を越えて働く大きな力であり…それがなかったら我々は決して安心することが出来ないのです。…
我々現代の人々は各種の教育が障害となって、どうしてもそういうことを感じられないのです。どんな秀才であっても、科学主義の洗礼を受けてそれに従うとき、実はその人の持っている人間として与えられた能力の僅かの部分しか使われていないわけです。我々に与えられている、もっと大きな、もっと素晴らしい、感じる力というものに気が付くことが出来ないのです。これが現代の科学主義の限界なのです。これを科学主義が非常な傲慢さを持って、自分たちの科学主義が最高の真実であると、堂々と主張して憚らなかったのが二十世紀なんです。私は来る二十一世紀はそうであってはならないと思うんです。…
私が今皆さんに申し上げたことが、少しでも皆さんの耳を通じて心に達したら、嬉しいと思います。私達は心があるということを忘れてはいけないのです。私達は頭だけではないんですよ。心は目で見えるもの以上のものを感じ、感覚するんです。感覚から感情になって行くのです。…私達は時々不安に陥ります。するとその不安を超えようとする願いが起きてきます。…この呼びかけに素直に耳を傾け、それを全身心を以て感じる時に、あなた方は苦しんでいる今までの自分と違った、自分自身を超える、大いな偉大なるものに触れて、自分が支えられている大きな喜びを感じるでしょう。」(近藤章久講演『現代を生きるための念佛』より)
まず、目に見えるものを考えるのではなく、目に見えないものを感じること。
そうして感じる力が敏感になって来ると、我々を不安や苦悩から救って下さる大いなる力を感じられうようになって来るということ。
その道筋を、近藤先生は何度も何度も、言葉を変え、表現を変えて、伝えようとして下さっています。
そして、この講演の現場にいた私にとっては、まさにこの近藤先生による講演自体が、我々を超えた大いなる力を感じさせていただけるものでありました。
しかし、現場にいなかった皆さんが失望する必要はありません。
あなたの感じる力が敏感になって行けば、この講演録からも、行間を通して働く大いなる力を感じられるようになるものと私は信じています。
(尚、この講演が、近藤先生の浄土真宗 東本願寺派本山 東本願寺(いわゆる浅草本願寺)における生前最後の講演となった)