ある女性が中学時代、部活でイジメを受けていた。
ようやく高校に進み、イジメた連中と縁が切れて清々していたが、そいつらから何度も「会おうよ。」と誘いの連絡が入って来る。
人の良い彼女は、渋々会いに行き、そいつらと話してみて、なんだかカラクリがわかったような気がした。
結局、イジメていた連中自身が健康な人間関係を築けないヤツらだったのである。
よって、高校になってもマトモな友だちが作れない。
それで遡って、中学時代の知り合いに声かけるのである。
通常なら、高校は高校で新しい友だちができて、その交友で忙しくなるはずである。
過去の友だちなんぞにかかずらわっているヒマはない。
彼女の読み通り、さらに大学に進学しても、就職しても、その連中からの誘いの連絡はなくならなかった。
もちろん、もう誘いに応えることはなかったので、段々に連絡は消滅して行ったが、大学に行っても、就職しても、そいつらは新たな交友関係が築けなかったと見える。
それがもし“生涯の親友”との運命的な出逢いがあったのであれば、時間的に後ろ向きの交友関係もあり得る。
文字通り、一生の付き合いとなるだろう。
しかし通常は、小学校→中学→高校→大学→社会人となって行くにつれ、交友は広がり、質的にも深まり、“今が一番充実した交友関係”になるはずである。
後ろを向いているヒマはない。向く必要もない。
だから私ももし「昔の知人に逢いたいか?」と訊かれれば、答えは「No。」である。
今の交友が忙しくて、充実していて、懐古的になるヒマがないのである。
もちろんその交友の“友”には、面談しているクライアントや勉強会参加者の方々も含まれる。
彼ら彼女らは大切な“同志”であり、ある意味、一般的な“友”よりもずっと深い関係かもしれない。
だからやっぱりどう考えてみても、後ろ向きの交友をしているヒマはないんだなぁ。