「皆さんは一応安心していらっしゃるように見えますが、心の中ではやっぱり漠然たる不安を感じられているのではないかと思うのです。一体どうしたらいいでしょう。本当にこの何とも言えない不安を乗り超えることが出来るのでしょうか。ここで一つ深く考えて見ましょう。私たち日本人はもう少し、目に見えないものの持つ意味を感じられるのではないでしょうか。いや、我々にその力が自然に与えられているのではないでしょうか。あなた方は目に見えないもの、例えば自分の家族に対する愛、子供に対する愛、愛情、これは目に見えないですよ。それを私たちは信じているでしょう。私たちは自ずからそういうものを、感じる力を持っているのではないでしょうか。これは一体どんなことでしょうか。一体それはどこから来たのでしょうか。
近頃見ていると、男性も女性も若い人達、少なくとも私が接する限りには、そうしたことに関して非常に割り切っているというか、浅い考えしかもっていない感じがするのです。だからお互いの間に本当の信頼はないのではないでしょうか。本当の信頼がないくせに簡単に安っぽく信じてしまう。そういうイージーな信頼の結果裏切られることが多い。その上裏切られた時に傷つけられても、その意味を深く考えない。こんなこと大したことないと、打ち消してしまう。このような何か自分の生命とか、自分の生活に対する安易な態度、自分の生き方に対する浅薄な態度は非常に強くていい加減な生活をしているような気がするのです。
私達の祖先は、いろんな厳しい状態をずっと生き抜いてきました。その中で彼らはいろんな困難に面し、不安に直面して、真剣にどうしたら生きていけるかを考えました。そして何が本当にこうした不安を超えられるか、ということを真剣になって追求した人達がいるのです。…親鸞聖人はその一人でしょう。法然上人もそうですね。そしてこの方々が人間が本当に真の安定を得て、真の安心が得られるのは何かを教えて下さったと思うんです。ひるがえって今のインテリの方々に聞きたいのです。私にどうしたら安心が出来るのか教えてほしいのです。医学博士でも理学博士でも、どこのプロフェッサーでもいいけれど、それを聞いたときにハッキリ答えられる方はほとんどいないのではないかと思うのです。何故かと言うと、少なくとも学者達は科学的な考え方をしている限りは、この質問に関してはおそらく返事は出来ないと思います。」(近藤章久講演『現代を生きるための念佛』より)
この当たり前の生活の背後にある、漠然とした不安を、あなたは感じたことがありますか?
拭(ぬぐ)っても、誤魔化しても、逃げ出しても、消し切れない不安があることを、あなたは感じたことがありますか?
そしてその不安を本当に乗り超えたいと、心の底から願ったことがありますか?
またあなたは、目に見えるものだけでなく、目に見えないものの持つ意味を感じたことがありますか?
そこに本当の安心への道がある、本当の安心へと連れて行って下さる力があることを感じたことがありますか?
消し切れない不安をひしひしと感じ取り、それを乗り超える道を真剣になって追求し、目に見えない働きを見い出して来た歴史が、この国の先人たちにはある、ということを知っておいていただきたいと思います。