人間が自分の寿命のことを本気で考えるようになるのは、
大病や大きな事故・被災などを除けば、
四十歳過ぎくらいからではなかろうかと思う。
近藤先生はよく
寿命のことを考えるのは、
平均寿命の半分を過ぎたあたりか、
二親(ふたおや)が死んだ頃からじゃないかな、
と言われていた。
前者は、寿命を「あと何年」と数えるようになる年齢であり、
後者は、死への防波堤であった親がいなくなり、自分が直に死と向かい合うようになる年齢である。
蓮如上人は
「仏法には、明日と申すこと、あるまじく候。仏法の事は、いそげいそげ。」
と言われ、早くにこの世界の真実を見い出すことを求められた。
若い頃は、そんなに焦らなくても、と思ったりしていたが、
年齢を重ねると、この一年、この一か月、この一週間、この一日の貴重さが実感を持って迫って来る。
ニセモノの自分、仮幻の自己を悠長に生きているヒマなんてないんだよね。
元より世俗的な成功や長寿などは、どうでもいい。
自分が今回、自分に生まれた意味と役割を果たしたか、果たしているか、本当の自分、真の自己を生きているのかが問題なのである。
そういう自覚によって、今この一瞬が濃くなるのであれば、寿命があることも、そしてその中で年を取ることも悪くないと思う。