時々、冠婚葬祭のマナー、テーブルマナー、さまざまな世事の付き合いごと、接遇などなど、いろいろなマナーや儀礼に関して、うるさいことを言う人がいる。
そんな話を聞く度に、マナー、儀礼の“根本”について、一度ちゃんと勉強された方が良いんじゃないかと思う。
言うまでもなく、我が国の「礼」に大きな影響を与えたのは、儒教、孔子である。
その孔子が最も嫌ったのが、形だけの「虚礼」であり、「相手を大切に思う気持ち」が先にあって、それをなんとかして表したくて、出来上がったのが「礼」という形である、という孔子の見解に私は大賛成である。
とすると、マナーや儀礼を知らない人を見下す人たちの姿勢には、そもそも「相手を大切に思う気持ち」がない。
これは致命的である。
むしろ最も「無礼」と言える。
さらに、「そんなことも知らないのは恥ずかしい。」と言って相手を責める人もいるが、“恥ずかしい”で相手をコントロールしようとすること自体、そう言っているその人自身が“他者評価の奴隷”であることを自ら露呈しているようなものである。
「恥ずかしくないように」世俗的なマナーと儀礼を完璧にマスターしているが、いちいち言うこと・なすことが慇懃無礼で、いちいち癇に障る人がいる。
また、世俗的なマナーや儀礼なんぞとんと御存知ないが、その溢れる愛と想いに胸を打たれる人もいる。
あなたはどちらになりたいか?
もちろん、まず愛と想いがあって、“ついでに”マナーと儀礼という形も知っているというのであれば、それはそれで苦しゅうない。
ですがやっぱり、「相手を大切に思う」という「気持ちの出どころ」こそが「礼」の“根本”です。
お心得、あるべし。