「そんなやたらにね、安っぽく扱ってもらいたくないんだ、自分の生命(いのち)を。良いですか。この私はどうせダメなんだから。くだらんことを言わないでほしいんだ。その意味で、生命(いのち)を軽蔑しないでほしいの。…どうせ私ダメなんだからとか…どうせ俺はしょうがねぇよ…そういうのがだ、ね、これはみんな自分の生命(いのち)というものをね、粗末に考えている。…
英語でもドイツ語でも、産まれるという言葉は使わないの。受け身になる。I was born. こうなる、ね。ということを、もっと日本語的に言うと、授かったんだ。だから、あなたは自分自身の生命(いのち)をもっと考えてほしいんだ。私の生命(いのち)は、私は授かっているんだ。…このね、あなた方の、一人ひとりの生命(いのち)は、かけがえがないの。失ったらおしまい。これを不幸にするか、幸福にするか、健全にするか、病的にするか、これはあなた方の重要な責任ですぞ。これを、自分のことを思ってほしい。
それをよく考えたら、自分の目の前にある、自分の子どもというものを考えるだろう。この子どもの生命(いのち)を観るだろう。その子どもの光り輝いているところの独自の生命を観るだろう。これが母親が、その生命(いのち)を育てることが、その生命(いのち)を健やかに伸ばすことが、それが母親の意味だ。それを私は一番偉大な教育者と呼ぶものなの。どんな教育者よりも、それは素晴らしい教育を持っているものなの。
生命(いのち)のかけがえのない尊さを考えてもらいたい。そして、その生命(いのち)を自分が汚(けが)さないことなの。心配とか、不幸とか、不安だとか、そういうことで、自分の生命(いのち)を粗末にしてもらいたくない。自分の生命(いのち)を本当に大事にする人は、初めて他人(ひと)の生命(いのち)も大事にする。いわんや、自分の子どもの生命(いのち)を大事にするんじゃないかと思う。」(近藤章久講演『心を育てる』より)

 

近藤先生の力のこもった講演が続く。
まず自分に与えられた生命(いのち)の尊さを(考えるのではなく)感じること。
そうして初めて自分以外の人間、特に目の前にいる自分の子どもの生命(いのち)の尊さも感じられて来る。
その生命(いのち)の尊さが感じられれば、自分の生命(いのち)、縁あって出逢った人の生命(いのち)、そして縁あって我が子として授かった子どもの生命(いのち)の成長を願わないではいられなくなる。
そうしてその生命(いのち)を育てること、健やかに伸ばすことこそが、我々のミッションであると、(頭の先ではなく)肚の底からわかってくるのである。
それがわからずして何の人生であろうか。
それを果たさずして何の人生であろうか。
もう世俗的な、些末な、表面的なことはどうでもいいから、生命(いのち)の尊厳について、その生命(いのち)の成長について感じましょう、ね。

 

 

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