「良いですか。あなた方は、そういう生命(いのち)、新しい、若い、若々しい、生まれたばかりの、しかしながら弱い、その生命(いのち)に対して、本当に安心感を与えられるのは、あなた方だっていうことだ。…
是非、考えていただきたいのは、お母さん方に、そのね、自分の子どもに対するね、自分の態度です。お母さんが落ち着いているということが、どれくらい大事なことか。
誰でも、ここにいらっしゃる男の方でも、思い出すだろうと思うんです。自分がまだ幼い頃、どこかで膝を、ぶっ倒れて膝を擦り剝いたとか、あるいは、誰か友だちでもって殴られたとか、そういうときに、うちへダーッと帰ってって、『お母ちゃん!』とこう言ったわけです。そうして、自分の膝をね、擦り剝いた字座を、ああ、こうやってね、あるいは、ぶん殴られたコブをね、こうさすられて、そして慰められた記憶を持たない人間はないと思う。それで子どもは安心したの。…
けれども、子どもが本当に欲している、本当の慰め、安心感、そういうことを与えられなかったならば、私は、後にしっぺ返しを喰うものと思います。
あのときに母親にこうされたことが、僕に、私にとって大きな意味があったとかね、母親がこうしてくれたことがどんなに良かったかとか、そういうことが、なんかね、男の子、女の子に限らずね、そうした思い出を持たない人はないと思うんですよ。私は、最も偉大な教育者は、何も校長先生でもなく、担任の先生でもなく、それは母親だと思うの。母親がね、本当の意味で、自分がね、生命(いのち)を預かっているということ。
だから、大きくなってよく聞くんですが、本当に私の言うことを聞かないんです。思う通りにならないんです。当ったり前ですよ。始めっからね、あなた方の思う通りにできてないの! これをね、今度はこうやるとね、こうやってこう、こっちにやったりあっちにやったりできるもんだから、お人形だと思っちゃうんだね。どうにでもできるもんだと思っちゃう。それは誤りですよ、それは。お人形と違うの! 人間は生命(いのち)を、その生命(いのち)は、その人だけしか持たない独自性があるの。こうやって、皆さん、いらっしゃるけど、あなた方の一人ひとりが、輝くような、自分だけの持つ、その生命(いのち)を持ってるんですよ、あなた方は。隣の人と比べたら違うんだ。…
そんなやたらね、安っぽく扱ってもらいたくないんだ、自分の生命(いのち)を。良いですか。」(近藤章久講演『心を育てる』より)
実際の講演の中で、(子どもは)始めっからね、あなた方の思う通りにできないの!と近藤先生がおっしゃったときは、かなりの迫力でした。
また、お人形と違うの!とおっしゃったときも。
子どもを自分の思い通りにしようとする親のなんと多いことでしょう。
そしてそれが子どもの人生に少なからぬ禍根を残すことになります。
子どもの中には最初から自分自身を実現しようとする力が与えられています。
それを邪魔しなければ、それだけで大した親です。
大抵の場合は、善かれと思って、よってたかって邪魔をしています。
そしてもし、邪魔しないだけでなく、その子がその子になることを応援できたとしたら、それは最高の親と言えるでしょう。
そしてそれができる親は必ず、自分自身のことにおいても、本来の自分を実現する方向に生きているはずです(自分のことができなくて子どものことができるはずがありません)。
従って、まずは子どもの成長の邪魔をしないこと。
そして、自分自身の成長を目指すこと。
それができれば、間違いなく、親子ともに素晴らしい人生になると思います。