「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此(こ)の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業(たいぎょう)は成し得られぬなり。」(『西郷南洲遺訓』)
西郷南洲(隆盛)の残した有名な言葉である。
この言葉についてちょっと書いてみたくなった。
そもそも人間が執着しそうなものとして、金、社会的地位、名声があるが、最も執着するのが自分の命である。
それは生物学的な命であると共に、自我意識(自分が今ここに存在しているという意識)ということでもある。
従って、その命も自我意識も要らない、失って結構、投げ出して結構、となると、もうそれ以上に失うものはないので、恐いものは何もなくなる、ということになる。
よって、国家の大業でも果たすことができる。
それが何も国家の大業でなくともよい。
人それぞれに今回の命を与えられた意味と役割がある。
そのために授かった命であるから、そのために死ぬのであれば、それは元より本望であろう。
逆に天命を果たさずして、金を得ようと、社会的地位を得ようと、名声を得ようと、長生きしようと、その人生に何の意味があるというのか。
ところで
今回の人生における
あなたのミッションは何ですか?
小心翼々とうまいこと立ち回って、私利私欲に走るのが当たり前の現代。
この国にはそんな先人もいたのだ、ということを忘れないでいただきたいと願う。