私も生まれつきはバリバリのお調子者だったと思う。
幼少期のそんな写真がいくつも残っていた。
そのままに育てっていたら、随分と愉快で能天気な大人になっていたであろう。

しかし、あの劣悪な生育環境の中で生き残るために、止むを得ず、陰を薄くし、気配を消すことを覚えた。
目立てば、不意に酷い攻撃を浴びる危険性がある。
そして元気のない従順な子どもができあがった。
そうしてそのまま、気配を消す一辺倒で生きていくのであれば、それはそれで(幸せでがないが)簡単にやっていけたかもしれない。

しかし親からの要求はそこに留まらなかった。
一方で親に対する完全服従を要求しながら、他方、特に家庭外、学校で“できる”“目立つ”生徒になることを要求された(これは親の虚栄心を満たすためである)。

これには苦労した。
影の薄い人間と、存在の濃い人間の両方を演じ分けなければならなかった(いずれにしても演じていたのである)。
その結果、学業優秀、学級委員、運動部部長、生徒会長などをやりながら、今でも覚えているのは書道の先生からいつも「松田くんは元気のない字を書くなぁ。」と言われた。

それからの紆余曲折は、長くなるので省略するが、結局のところ、近藤先生との出逢いのお蔭で、自分を取り戻すことに成功したのである。
だからもう気配を消したり、存在を打ち出したりすることはなくなった。
今は今の自分の気でいられる。
しかもそこそこお調子者でもある。

普通ならこれでそれでめでたしめでたしなのであるが、そうはいかなかった。
近藤先生に接していると、存在の気迫が違うのである。オーラの強さが違うのである。
そしてそこに意図的なものは全くない。
近藤先生を近藤先生させている気が凄まじいのである。
自然体でこういう人もいるんだなぁ。
そしてそれが今の自分の目標となっている。
意図的な臭みや我の臭みなしで、確かに存在すること。確かに存在させられていること。
そのときにようやく松田仁雄は本当に松田仁雄になったと言えるのであろう。

 

 

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