電話に出られない、かけられない若者が増えているという。
その気持ちもわからないではない。
いやいや、わからないどころか、私も若者の頃にはその傾向があったと思う。
思えば、未知の相手とのコミュニケーションに不安があったのであろう。
相手はどんな人だろうか。
自分はちゃんとコミュニケーションを取れるだろうか。
相手の意を害さないであろうか。
相手の意に添わないと、非難され、攻撃されるのではなかろうか。
ああ、面倒くさい。
回避したい。
根底にはそんな不安と恐怖がある。
何故そうなるのか、そうなってしまったのか。
生まれつきのはずはない。
単なる経験不足なら、経験によって急速に改善するはずであるが、なかなかそうはならない。
それは、そのままの自分の不用意な言動を非難・攻撃されて来た歴史があるからである。
誰からか?
おわかりであろう。
それも多くは、すぐに児童相談所に通報されそうな虐待によってではない。
当人たちもそれと気づかないマルトリートメント(maltreatment)=子どもへの不適切な関わりは、日常生活の中で密(ひそ)やかに行われ、子どもは小さなパンチを受け続けて行く。
そうして、電話よりも安全距離があり、ダイレクトでない、LINEなどのSNSが選ばれるのである。
最近は、仕事の退職の申し出もLINEで済まされる。
退職代行サービスも、安全距離が保たれ、ダイレクトではない点では同様である。
恐くて直面化できない。
これまた子どもの頃ならそれもしょうがない。
しかし成人になってからは、自分の責任だからね。
相手の反応によらず、いつでも、どこでも、誰の前でも、自分でいられるようになることを目指すか・目指さないか、
それはあなた次第。
折角、世界に一人、一回だけの人生を授かったのだから、自分を生きて死にませんか?
ここでもまた、心からそうなろうとする人には応援団がいることを知っておいて下さい。